Nichiren・Ikeda
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中国文芸界の指導者 周揚氏
「私の人物観」(池田大作全集第21巻)
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3 対談を終えて窓から横浜の海を見た。クレーンや船を配置して、海はまだ正午前の穏やかな外光のなかに広がっていた。
港の静かな営みに目をやりながら、周氏は「五十年前の真夏、鎌倉の海水浴の帰りにここで一夜を過ごしたことがあるのです」と言われた。
「当時、私は二十一歳でした」
そう言って海を見つめる周氏の表情からは、文学、思想、人間観をめぐって対話を交わしたときにあった″カミソリ″の面影は消えて、懐かしい思い出に包まれているようでもあった。
中国文壇きつての実力者という立場、一転して八年近いという幽閉の生活――氏の泰然たる姿は、目先のことにとらわれ、運不運や風の吹き回しにもてあそばれるような人生の愚かさを教えているようであった。
そうした五十年の歳月を飲み込む、静まり返った広聞な海原が、氏の胸に波打っていたのかもしれない。
深いやすらぎが目に宿っていた。