Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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人間のための社会主義を ジル・マルチネ…  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
2  私は尋ねられるままに、仏法の理念に包み込まれた創価学会の実践運動をさまざまに語った。そうした後に、五十八歳の氏にこんな問いを発してみた。
 「もし未来に新しい人生があったとしたら、何をとりますか」
 氏はやや考えてから、再び屈託のない笑顔になって答えた。
 「もし人生のやり直しができるとすれば、もっと勉強して、自分のための戦いの時間をもっともちたいと思う。今までは、あまりにも社会主義、共産主義のための実践に時間をかけすぎた。社会主義ではもはや改革はできない。もっともっと勉強したほうがよかったと思っております」
 なにか社会主義の限界をはっきりと見極めたといえるような率直な吐露が思いがけなかった。同時に、限界を知りつつなお″新しい社会主義″の道を探求してやまない人生態度を十二分に汲みとれる言葉であった。
 対談には夫人も同席していた。夫人の父はムッソリーニの時代、イタリアで労働組合の書記長として活躍していたが、レジスタンス運動に参加し、無残にも処刑されたと伺った。それは、私の胸に深く悲しく焼きついている。
3  翌年(一九七五年)五月、パリを訪れた折にマルチネ氏と再会した
 場所は十六区ブランドラン大通りにある氏のアパルトマンであった。道一つ向こうに広大なプーローニュの森があり、その新緑の柵を通り抜けたそよ風が、私たちにもかすかに木の香を運んでいた。
 このとき、氏は社会党が第一党になればキリスト教の人たちを、こぞって迎え入れるだろうと語った。「社会党はキリスト教を包含しようとしている」とも言い切った。私には、フランスの社会主義が、幅広い階層の人びとを吸収し新しい流れをつくろうとしている方向性が感じられた。
 「指導者の第一の要件は?」の私の問いに、「明快さ」を一言のもとに挙げていた氏であるが、話しぶりも明快であった。
 もう一つ社会主義の″新しい道″を支える柱として、氏は「自主管理」の思想を強調した。体制、イデオロギーに縛られた社会主義のもとでは、悪くすると資本主義よりなお強く人間の主体性、創造性を奪いかねない。人間のための社会主義でなければならない|「自主管理」は、そういう考え方を土壌としている。
 話題はさらに広がっていった。
 「これから文明の質的形態が変わっていくと、″清貧″がが新しい価値をもってくるでしょう」
 「進歩した社会においては″量″だけでなく″質″求められる。そういう人間の欲求に応えうる思想なり運動が必要でしょう」
 人間精神の″質″の高さを尊ぶそれらの所説に耳を傾けている私は、マルチネ氏らの追求する″新しい社会主義″の底流には、伝統的なフランス・ヒューマニズムの青々とした水脈が流れ通っているのだと考えざるをえなかった。
4  私とは、はるか対岸に立つ氏ではあるが″人間″という一点では胸に熱く交響し合うものがある――″人間″が薫り立つようなマルチネ氏の面影を回想するたびにそう思う。そして、最初の出会いの終わりに、氏がしるした記念のサインが思い出されるのである。
 「非常に離れているような道でも最後は必ず合致する」と。

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