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日蓮大聖人・池田大作

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乱世を生きる柔軟恩考 ガルブレイス教授…  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
4  ガルプレイス教授の見解も一つの真実である。が、それは歴史を外側からみつめたものであろう。ナラヤン氏のそれには、インド自身の内側から真理に肉薄しようとするものの叫びがある。そこに、わずかながら両者の重要な相違があるのではないか、と思った。
 ニューデリー滞在中、アメリカ大使館に近いロディ公園を散策する機会があった。ガルブレイス教授が、インド在勤中、毎朝のように散歩した場所である。緑が多く、濠の水面に古城が影をひたしている。そんな静かな空気のなかで、教授との対談が思い起こされるのだった。
 不確実性の時代――。対談の席では、教授の人類へのこの問いかけをめぐって、私たちも討議した。私は、人間それ自体の不確実性を論じながら、時代をリードする確実なる理念の必要性を話した。教授はこう言われた。
 「人間の生は、一つの過程であり、流れである以上、そのなかには、これぞという中心的指導理念はないのではないかと思う」「人間の行う努力は、常時、修正さるべきであるという考え方に立てば、われわれの人生の流れは、より安全な流れ、より平和な、より深い、より知的な流れになるのではないかと思う。こういう考え方をうけいれること自体が、いわば究極的には一つの指導理念ではないかと思うのです。じつは、私の本(『不確実性の時代』)のなかでは、それを言っていないのです」
 常に修正することが指導理念――と、教授は重ねて強調した。私には、そとにガルブレイス教授の姿勢があるように思われた。教授のいう″指導理念″は、激動、波乱の時代にあって優れて経済、政治的な次元の柔軟思考――つまり硬直化したイデオロギーの排除を指していると私はみたい。しかし、と私は思う。時代とともに色あせていく理念もある。時と所を超えて、人びとの心を触発してやまない光源の哲理もある。両者をどう融合させていくか――。
 いみじくも教授自身、政治、科学、芸術それ自体は人間の幸福への手段であり、目的ではない、と述べられていた。私は、人間の幸福の礎として、生命を解明した仏教の基本的な骨格についてふれた。教授は、私の示唆を率直に受け止めてくれた。
 人間の生と死と――。この人間の永遠の命題にふれて、教授は、真剣な眼差しで「最大の悲しみは、長男の死です」と答えた。その表情の厳粛さのなかに、人間の乗り越えねばならぬ悲しみともいうべき心をのぞかせていた。私は、当代一流の社会科学者の奥に″人間ガルブレイス″の一側面を垣間見た思いがした。

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