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乱世を生きる柔軟恩考 ガルブレイス教授…  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
1  「あなたは、まことに背が高いですね」
 と言うと、彼は、
 「いや、皆が低いのではないでしょうか」と笑った。
 どこへ行ってもついてまわる背丈を、ユーモアのうちに弁明された。私も応じた。「背の高い人は、すべてを見通せる。しかし、地面のほうは、背の低い人のほうがより明確に見える。したがって、両者の論議を合わせることによって、全体の確実性がある」と。
 アメリカの経済学者ジョン・K・ガルプレイス教授。身長二メートル四センチ。聖教新聞社の玄関で歓迎した幾人かの人びとも、その背丈には驚いたようだ。教授も大きな手を広げて歓迎に応えておられた。昨年(一九七八年)十月十日の午後のことである。
 会談の場所といっても、学会本部はどこも手狭で、どうにか客人にくつろいでもらえるのは、聖教新聞社の応接間しかない。その部屋で、著書『不確実性の時代』(都留重人監訳、TBSブリタニカ)が日本中の話題をさらっていたガルブレイス教授との対談は、焦点ともいうべき″確実性″をテーマにこんな明るい笑いのなかで始まった。
 教授の個人的な事柄が話題になった。教授は「自分にはモットーという簡明なものはないが、一つの″ルール″はある」と言って、「″今は働こう。しかし、それを完成できるとは思うな″を、いつも自分に言いきかせている」と語った。
2  とにかくエネルギッシュに働くのであろう、前の日の「毎日新聞」にもキャサリン夫人のインタビュー記事が出ていて、それには「彼は頼まれれば、ノーと断ることができない人。だからいつも約束がいっぱいで……。そのうえ遅くまで本を読んだり、朝早くから書きものをしたり、時々頭痛に悩んでいる主人を見るのがつらい」とあった。
 「これから取り組みたい仕事は」と私は質問した。すると教授は長い足を組み替えながら、「死ぬ前に一つ、いい小説を書きたい」と、何か構想をもっておられるようであった。
 「今まで、人に隠れて夢をもっておりました」と教授。「ほら奥さま、よく聞いていてくださいよ」と、私は教授の隣のキャサリン夫人に注意を促した。
 「近く私の書いた芝居が上演されるのです。それで、劇場の看板にネオンサインで私の名前を出してもらいたい。名前を大きく看板に出してくれさえすれば、あとはどうなってもいいのです。まったく自分の見栄なのですがね」と、大声で笑った。
 夫人は、おやおや、とほほえみながら、教授と視線を合わせていた。
3  教授は一九六一年から六三年まで、ケネディ政権下で駐インド大使を務めた。しぜん、対談ではインドの話題が広がった。インドが最近、米を輸出できるようになり、国際収支が史上初めて黒字に転じたこと、人口問題への対処、対印援助のあり方などが論じられた。
 応接室の片隅に狭い和室がある。客人のために少しでも日本情緒を味わってもらうための、畳と障子を配しただけの簡素なものだ。そこに天ぷらの席を設けた。連日多忙なスケジュールに追われる教授、夫人に、多少とも休んでもらいたかった。天ぷらのもてなしだけではどうかと懸念もしたが、教授は「こんな幾種類もあるとは知らなかった」と、揚げたての天ぷらを賞味されていた。「この味覚というものは、およそ時間というものを″不確実″にする力をもっている」と、時の移るのも忘れて楽しまれ、私も嬉しかった。
 対談から約四か月後の本年(一九七九年)二月、私はインドを訪問した。J・P・ナラヤン氏との対談の席上、私は、ガルブレイス教授が、中国とインドの国民性の違いを語ったのを思い出し、教授の考えをそのまま質問してみた。「中国は組織の歴史、インドは抵抗の歴史、という考え方について、どう思われるか」と。ナラヤン氏は、私は承服できない、と笑いながら言った。「インドは、魂の探求の歴史です」と強い語調であった。私は、一瞬、限りないインドの大地からの叫びを聞いたように思った。
4  ガルプレイス教授の見解も一つの真実である。が、それは歴史を外側からみつめたものであろう。ナラヤン氏のそれには、インド自身の内側から真理に肉薄しようとするものの叫びがある。そこに、わずかながら両者の重要な相違があるのではないか、と思った。
 ニューデリー滞在中、アメリカ大使館に近いロディ公園を散策する機会があった。ガルブレイス教授が、インド在勤中、毎朝のように散歩した場所である。緑が多く、濠の水面に古城が影をひたしている。そんな静かな空気のなかで、教授との対談が思い起こされるのだった。
 不確実性の時代――。対談の席では、教授の人類へのこの問いかけをめぐって、私たちも討議した。私は、人間それ自体の不確実性を論じながら、時代をリードする確実なる理念の必要性を話した。教授はこう言われた。
 「人間の生は、一つの過程であり、流れである以上、そのなかには、これぞという中心的指導理念はないのではないかと思う」「人間の行う努力は、常時、修正さるべきであるという考え方に立てば、われわれの人生の流れは、より安全な流れ、より平和な、より深い、より知的な流れになるのではないかと思う。こういう考え方をうけいれること自体が、いわば究極的には一つの指導理念ではないかと思うのです。じつは、私の本(『不確実性の時代』)のなかでは、それを言っていないのです」
 常に修正することが指導理念――と、教授は重ねて強調した。私には、そとにガルブレイス教授の姿勢があるように思われた。教授のいう″指導理念″は、激動、波乱の時代にあって優れて経済、政治的な次元の柔軟思考――つまり硬直化したイデオロギーの排除を指していると私はみたい。しかし、と私は思う。時代とともに色あせていく理念もある。時と所を超えて、人びとの心を触発してやまない光源の哲理もある。両者をどう融合させていくか――。
 いみじくも教授自身、政治、科学、芸術それ自体は人間の幸福への手段であり、目的ではない、と述べられていた。私は、人間の幸福の礎として、生命を解明した仏教の基本的な骨格についてふれた。教授は、私の示唆を率直に受け止めてくれた。
 人間の生と死と――。この人間の永遠の命題にふれて、教授は、真剣な眼差しで「最大の悲しみは、長男の死です」と答えた。その表情の厳粛さのなかに、人間の乗り越えねばならぬ悲しみともいうべき心をのぞかせていた。私は、当代一流の社会科学者の奥に″人間ガルブレイス″の一側面を垣間見た思いがした。

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