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日蓮大聖人・池田大作

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歴史家 トインビ一博士  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
5  そんなお元気なトインビー博士が脳卒中で倒れたと聞いたのは、翌年八月のことだった。対談中から私がいだいてきた杞憂が現実になってしまった。以来、闘病生活に入られたが、博士回復の朗報はなかなかこなかった。
 半年後の七五年二月、ベロニカ夫人より届いた手紙は、病状の半ば絶望的なことを知らせるものだった。
 「今となっては、もう回復し、もとのようになる希望はないと思われることをはっきり申し上げるべきだと思います。とくに、主人がもとの知的能力を取り戻すことはないように思われます」
 「主人を尊敬される人びとにとっては、今の主人ではなく昔の主人に心を留めておかれるほうがよいと感ずるのです」――。
 私は、暗然たる気持ちに襲われた。
 「一日中眠ったきりか、半分眠った状態」とのことである。ただ、博士が薄明な意識のなかでなお本を求め、本当に読めているのか、あるいはぺージを繰るだけなのか疑問ではあるが、本を手にしている、とあった。
 そういえば博士は、文章を書き、本を読んでいるときが最も充実感があると言われていた。飽くことのない知識欲と自制心とによって、学究としての晩節を全うされていた博士だった。私は、死に立ち向かう巨大な理性の抵抗をはるかに思いやりつつ、日夜、回復を祈った。
 翌三月、博士との共同作業をまとめた『二十一世紀への対話』上下二巻がようやく発刊された。五月、それを携えてロンドンを訪れたが、もはや博士との面会は無理であった。私は秘書のオール女史に託するだけにとどめた。
 博士の偉大な精神力は、死の重圧にじつに十五か月間も耐え抜いたが、ついに同年十月、八十六歳の天寿を全うされて逝いたのである。葬儀は、博士の亡くなったヨークシャー州の小さな村で、親族と数人の看護婦と、いくらかの村人とで簡素に執り行われた。長く看病に献身されたベロニカ夫人も「勇気をもって」耐えておられる、とオール女史が伝えてくれた。
 夫人からは翌月、書簡がきた。「……私のなすべき仕事は、ここにたくさんあります。これらのために時を過ごすことは、休養と気晴らしを求めるよりも、悲しみと喪失感に立ち向かう最上の方法なのです」と。
 健気にも勇気を支えとし、愛する夫との永訣の悲しみを乗り越えようとする夫人の心情が、手書きの筆跡ににじんでいるようだった。
 秋深い十月のヨークシャーは、落ち葉が厚く散り敷いていたことだろう。それは、あの明るく緑にあふれたメイ・フラワー・タイムとはあまりにも対照的である。
 思えば、あの対談は、博士の研究の生涯が、まさに最後の燃焼に向かっていたとき、未来に警鐘をとどめようとの共通意思から企てられたものであった。私の胸には、対談の冒頭に語調強く言われた博士の言葉が乱鐘のように湧き響き、力づけてくれる。
 「やりましょう! 二十一世紀の人類のために、語り継ぎましょう」

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