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日蓮大聖人・池田大作

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ドンの作家 ショーロホフ氏  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
1  紅葉した街路樹のなかに、モスクワの晩秋があった。沈みゆく夕日の柔らかい光が、北の古都を、やさしく包もうとしていた。
 四年前の九月、私は、M・A・ショーロホフ氏を訪ねた。シブツェフ・ブラジェク通りの質素なアパートの四階に、静かな″コサックのドン″は待っていてくださった。
 「ロストフに行きましたか」
 自分の故郷へ旅したか、というのが氏の真っ先の問いかけであった。
 ショーロホフ氏は、ドンの作家である。故郷のべシェンスカヤのコサック村をこよなく愛し、都会の灯より、生まれ育ったドン・コサック地方をどこまでもいとおしむ自然児である。
 コサックの語源は、タタール語のカザク(騎乗者)とも、トルコ語のカザク(自由の民)ともいわれ二説あるようであるが、わがショーロホフ氏は、まさに「騎乗者」であり「自由の民」といった印象を受けた。ロシアの大地から豊かな生命力をうけ、悠久のドン河の流れに精神を洗われながら育ったこの農村の戦士は、歯に衣を着せないでものを言い、いたずらっぼくユーモアを連発し、好物のお酒を飲み、きわめて陽気に援る舞われる。赤と青のネクタイをし、縞のワイシャツを着た氏は、すこぶる上機嫌であった。
 「私は、日本へ行ったとき、非常な歓待をうけ、今も良き思い出になっています。日本人は、きれい好きな立派な国民です」
 見事な白髪もかなり薄くなっておられたようだが、いかにも好々爺といったふうだつた。
 その一週間ほど前に、ソ連の作家同盟の大会があったが、氏は、健康がすぐれないとのことで、欠席されていた。私は、氏の健康状態を心配していたが、実際にお会いしてみると、氏は想像したより活力にあふれ、血色のよい顔をニコニコさせておられたのでほっとした。
 七十歳の誕生日をまもなく迎えようとされていたショーロホフ氏は、コニャックをグラスになみなみとつぎながら「ロシアでは、お酒を飲み残すと恨みを残すということになっている」と言い、いかにもおいしそうに一気に飲み干されるのであった。
 私は、尋ねた。
 「七十年間の人生で、いちばん嫌だったこと、また、苦しかったことは何か――よろしかったら、ひとこと、お話し願いたい」
 氏は、体全体を動かすようにし、首をたてに振って語りはじめた。
 「長い人生になると、いちばん苦しかったことは、思い出しにくくなります。長くなると、いろんな出来事の色彩がうすくなり、いちばん嬉しかったことも、いちばん悲しかったことも、一切合財、過ぎ去っていきます」
 そして、一呼吸おいて、ショーロホフ氏は、いくぶん微笑むように静かに話を継ぐのであった。
 「私の言うことが真実だということは、池田さんが七十歳になったときにわかるでしょう」
 味わい深い言葉であった。自分の言うことが相手に本当にわかってもらえるかなといったふうに、ちょっといたずらっぽさを含みつつ、それでいて、とても真剣な目で、こちらを見ておられた。そのとき、私は、ロンドンでお会いしたトインビー博士も、同じような意味のことを言っておられたことを思い出した。ショーロホフ氏に、その旨お話ししたら、氏は、盛んにうなずいておられた。
 私は、もうすぐ五十一歳。ショーロホフ氏がいう七十歳には、まだ程遠いが、氏が同じ五十一歳のときに著した感動的な短編小説『人間の運命』を読むには、ちょうどよいということになるのであろうか。私は、この原稿を書くにあたって、関西での旅の車中、もう一度読み返してみた。
 戦争の爪跡に傷つきながらも、懸命に生き抜く人間の運命を切々と訴える名編である。戦争で妻を失い、娘もなくし、たった一人残った息子も殺され、悲しみに沈んだ初老の主人公が、親をなくした一人の貧しい戦災孤児に出会う光景などは、人間への深々とした愛情に貫かれた作者のやさしい心がにじみでていて、心を揺り動かされる。
 そして、最後の光景が、また、なんともいえない。戦争によって打ちのめされた二つの世代が一つとなって、この新しく誕生した父と子が、見知らぬ土地をめざして、旅に向かう。
 「身内を失った二人の人間、未曾有の力を持った戦争の烈風のため見知らぬ土地に吹きとばされた二つの砂粒……この先、何が彼らを待っているのか? 不屈の意志を持ったとのロシヤ人が、万事を見事に持ち堪え、あの子が父の肩で成長し、大人になった時には、祖国が求めるならば、あらゆる事に耐え、行く手のあらゆるものを克服し得る人間になる、と私は思いたかった」(米川正夫、漆原隆子訳、角川書居)
 ショーロフ氏は、悲しくも寂しく、戦乱にもてあそばれる人間の運命を描いているのではあるが、その底には、したたかな人間の強さ、逞しさへの信頼と希望が脈打っている。「信念のない人はなにもできない。われわれはみなが″幸福の鍛冶屋″ですよ。精神的に強い人は、運命の曲がり角にあっても、自分の生き方に一定の影響を与えうると信ずる」と断固とした調子で語っていたショーロホフ氏の顔をふと思い浮かべる。
 そして、もう一つ――。ショーロホフ氏は、これからつづくであろう次の世代へ、限りない期待を寄せているのではなかろうか。この『人間の運命』も父と子のラストシーンで終わっているが、大著『静かなドン』も、憐れな傷ついた姿で故郷に帰ってきた主人公グリゴーリー・メレホフが、彼のすべてである息子を手に抱いているところで終わっている。
 氏の代表的な短編と長編が、ともに次の世代への恒火の継承を示唆しているように思える。「私は楽観主義者ですから、青年たちが望んでいるように、二十一世紀には、現在生きているよりは、もっともっと、暮らしが向上するように祈ります」と話していたショーロホフ氏の言が迫ってくる。
 ドン・コサックの歴史を見つめ、すべてを包み込んで悠揚迫らず流れつづけている静かな大河ドンにも似て、一見、南ロシアの太陽のように輝く陽気なショーロホフ氏も、その秘めたる内側を流れるものは、母なるロシアを流れるドンの悠久と静けさなのではなかろうか。ショーロホフ氏は、ドンの作家であり、情熱を秘めた静かなドンそのものである。

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