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日蓮大聖人・池田大作

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国連事務総長 ワルトハイム氏  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
3  氏は五十三歳の誕生日に、事務総長に推薦された。就任後、初の年次報告では「国連の不備や不完全さを失敗のあらわれとしてではなく、組織体が、その発展の初期に必ず通過せねばならない避けがたい成長の一部として受け入れる」よう呼びかけている。国連のおかれた状況というものを率直にみて、若さと温厚な人柄で、使命感に満ちた行動をつづけてきたことは、小一時間の会談で明らかであった。
 会談では核廃絶の問題、中東情勢、キプロス問題、食糧問題など、当時の世界が直面していた課題を語り合った。
 なかでも核廃絶に関して、核戦争はなんとしても回避したい、日本が唯一の被爆国として核問題に強い関心をもっていることをよく理解している、国連の努力すべき方向は核廃絶である、と強調していたことが思い出される。これを語る柔和な目のなかに、私は強い決意を感じ取った。ご自身の最大のテーマとしておられるようであった。
 会談の最後に、私は、私どもの平和への運動の一つとして行った戦争絶滅、核廃絶を訴える一千万人の手による署名簿を手渡した。私は庶民の強い願いを秘めた署名簿に、ズシリとした手応えを感じていた。ワルトハイム氏は「非常に価値あるもので、その行為に敬意を表します。感銘を受けました」と、署名簿を大きな両手に抱えるようにした。
4  事務総長の席の後ろの落ち着いた茶色の壁には、国連の紋章が掲げられていた。例の、地球を北極の上から見た世界地図を、オリーブの葉で囲んだものである。国連が世界的機構であり、国連の手で平和を推進することをデザインしたものである。ワルトハイム氏の背後にあった紋章が、私には鮮やかな印象として残っている。このシンボルが、名実ともに人類の平和のシンボルとなるのは、いつの日であろうか。
 会談ののち記者会見を終えて、国連ビルの外に出ると、イースト川からの冬の風が、広場に舞っていた。
 翌年の十二月、ワルトハイム氏は事務総長に再選された。大国の微妙な思惑と駆け引きがある国連では、事務総長は無色の中立性が望ましいともいわれる。私は氏の熱意と公平な人柄が再任となったとみる。さっそく祝電を打ったところ、氏から丁重な礼状が届いた。
 本年五月、国連として初の軍縮特別総会が開催された。ともかく歴史的な踏み出しの第一歩である。開催の運びとなったことを知った私は、かねてからの所信と構想をまとめ、核軍縮に関するささやかな提唱を、事務総長と軍縮総会の議長あてにお届けした。平和を希求する庶民の心を汲み取ってもらいたいとの気持ちからである。
5  今、ワルトハイム氏の温和で端正な素顔を思い起としつつ、鮮やかに蘇ってくる氏の言葉がある。会談で私はこう尋ねた。
 「世界平和へのガンは何ですか」
 「それは、不信感です」
 氏は、即座に、一言のもとに答えたものであった。
 不信を信頼へとどう変えていくか――。事務総長の前途には、なお多くの岬吟があろう。氏のご健康とご活躍を、切に祈りたい心境である。

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