Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

雑誌「少年日本」の作家たち 荘八、胡堂…  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
2  山岡氏も、幼き日のことを話してくれた。貧乏で、十歳のとき、新聞配達や果物売りをした。十三のときは、修学旅行に行くため、土木工事に出たり郵便車を引いたりした。土運びで背中がすりむけたり、田舎の山道を郵便車を引いて、一晩に往復六里(二十四キロ)も駆けると、一週間は足がはれあがった。十四で、上越の山の中から上京し、苦学。とにかく十四歳から、着るもの、食べるもの、学資と、一人で働いてやってきた。「艱難汝を玉にす」と、机の前に書いて張っておいたが、なかなか玉にはなれなかった。ワッハッハハ……と。
 編集者として、原稿を依頼し、手に入れることは大変であったが、作家や画家と会って、少年時代の思い出話を聞くのは楽しいことであった。武蔵野に住んでおられた野村胡堂氏には「大地の上に」という純情熱血小説を連載していただいた。
 井の頭線の高井戸駅で下車し、武蔵野を流れる小川を越え、雑木林のある小さな丘の上にある胡堂氏の家を訪ねると、秋の日を浴びながら、氏が、温顔をほころばせて、少年の日を楽しそうに語ってくださった。そんなとき、江戸一番の捕物名人・銭形平次と胡堂先生のイメージが重なってきてしまい、ハッとするのであった。また、少年読者向けの懸賞バットにも、達筆な字でサインをしてくださったことを、今でも鮮やかに覚えている。
 私は、この年の最後の号である十二月号に、次の新年号の予告を次のように書いた。「野村胡堂先生の少年時代は、実に面白く、まるで劇のような少年時代でした。ページの関係で、新年号に御紹介します。楽しみに、お待ちください」。
3  ところがである。この新年号は、ついに出せなかった。戦後も、昭和二十四年ごろになると、休刊をつづけていた大手出版社の雑誌などが、用紙事情がよくなるにつれて、復刊しはじめ、私が勤めていた日本正学館など、歴史の浅い小出版社は、その販路を蚕食されていったのである。
 「少年日本」は、十二月号を最後に、廃刊になってしまった。最近、この最終号を手にする機会があって、とても懐かしかった。紙も粗末なザラ紙であったが、一三八ページにわたる一ページ一ページには、私の青春の日の思い出が、深く刻み込まれているのである。私は、三十年も前の活字や挿し絵を見ながら、新年号に予定していた目玉に、西条八十氏の詩があったことを思い出した。
 秋のある日、私は、成城に向かった。小田急線に乗って、成城学園で降り、駅前の広い道をまっすぐ五分ほど歩き、左に折れると、めざす西条邸があった。周りは、緑の多い住宅地である。正門のブザーを押した。庭で掃除をしていたという男の方が、取り次、ぎに出てきて「先生は、お留守です」と言った。私は訪問の趣旨を話し、次の訪問日を約して、辞した。「必ず伝えておきます」との感じのよい返事に、私は、ほっとした。
4  二回目、西条氏はおられた。鋭い英知に支えられ、明るく澄んだ深い幻想の詩人を前にして、私は、熱弁をふるった。「♪唄を忘れた金糸雀かなりやは後の山に棄てましよか……」の「かなりや」の歌や、「♪若い血潮の予科練の七つボタンは桜に錨……」の「若鷲の歌」など、数知れないヒット曲を作詩した西条氏は、早大で仏文学を教えられた文学者であり、少年時代から詩情豊かな鬼才を発揮した純粋詩人でもあった。
 私は、訴えた。「少年たちに、偉大なる夢を与えきれる詩を、ぜひ書いてください」「素晴らしい、未来の偉大な人間を育てていくために、西条先生の詩を、どうしてもお願いしたい」。私は、真剣であった。氏は、しげしげと私を見ながら感慨深げに「少年に偉大なる夢、いい言葉だ、よし、書きましょう!」と言ってくださった。
 西条邸を後にし、私は充実感でいっぱいであった。表通りを避けて、裏道へ踏み込んだ。しんしんとした静けさが肌身に染みとみ、野鳥のさえずりが驚くほどよく聞こえてくる。閑静な家々が並ぶ道の両側には、古木が茂っていた。心安らぐ空気にひたりながら、私は、駅へ向かった。
5  氏は、約束どおり、詩をつくってくださった。しかし、私の少年雑誌は、廃刊になり、せっかくの詩も″幻の詩″となってしまった。いただいた原稿は、そのままお返しした。当時は複写機もなかったし、また、詩の控えも書き留めておかなかった。今にして、残念に思う。
 廃刊という悲しい決定がなされたのは、あまりにも突然だった。私は、地球の回転が止まったかのような衝撃を受けた。その三日後の昭和二十四年十月二十八日(金)の日記には――
 「仕事、残務整理。午後より、机にて、本を読む。
 『少年日本』最終刊印刷出来上がる。これが当社の最後の雑誌か。大した出来ばえに非ず。実に、残念だ。刷りといい、紙といい、惜しく思うのみ」
 一冊の古ぼけた少年雑誌は、私に荘八、胡堂、八十といった作家の方々の姿や、青春の思い出深い日々を、いろいろと語ってくれる。

1
2