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日蓮大聖人・池田大作

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美術史家 ルネ・ユイグ氏  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
2  そういえば、氏のこんなエピソードを私は耳にしていた。
 第二次大戦中、ナチス・ドイツ軍のパリ侵攻を恐れて、各所の美術品を地方へ運び、隠したことがある。ユイグ氏は二十一歳でルーブル美術館に入り、当時は三十代半ばであった。たしかロワール地方だったと聞いたが、地方の城館に運び込まれた数多くの美術品を、氏は管理していた。ある日、ユイグ氏の守る城館の扉がドイツ軍将校によって荒々しく押しあけられた。
 肩をいからす軍服姿を前にして、氏は一歩も退かなかった。
 「ここにある美術品はフランス一国の文化遺産ではない。全人類の財宝だ。ドイツが真に文化国家であれば、美術品を守るであろう。もし破壊するなら、あなた方は野蛮人というほかにない」
 開口一番、氏は言い放った。悪くすると銃殺されるかもしれないそんな危険を冒してさえ、人類の宝庫、ルーブル美術館の守り手としての良心に忠実に従ったのだろう。結局、武装将校は、身に寸鉄も帯びない氏の気迫に圧倒されてか、そのまま引き返していったという。
3  ユイグ氏はまた、レジスタンス運動に加わり、故人と・なったアンドレ・マルロー氏やジャック・シャバンデルマ氏らとも連絡を取り合って闘った経歴をもっ。とすれば、闘う知識人としての資質は、すでに第二次大戦において発揮されていたわけである。
 ″エスプリのための闘い″――ここに至って私は、氏との一体感をさらに強くした。対談は往復書簡に移されて、存分に信念を語り合えるであろう。
 「その対談はが″目に見えるもの″から、深い精神の対話に入っていく、そういう内容にしましょう」と氏は言葉を継いだ。
 氏は、このとき六十九歳の高齢にある。その生涯を込めて美術作品を見つめてきた氏にとって″目に見えるもの(ル・ビジブル)″とは、本来、美術そのものを意味する。著書にも『見えるものとの対話』というのがあって、見事な芸術論が展開されている。
 ルーブル美術館の美術品は二十万点を優に超える。その絵画部長として研究に没頭し、蓄えた知識の幅広さ、奥深さには定評がある。そういう″目に見えるもの″との半生を越える対話から、氏は目に見えないものを見、耳に聞こえないものを聞きえたはずである。
 「私たちの感覚がとらえる物質の存在の背後に、無限に大きく、無限に深い実在があります。この深い実在を″根源的なるもの″と呼んでいいと思う。″美″の追求は、すなわち芸術は、そういう深みに向かうものなのです」
4  この日の対談の前半において、氏はこう述べている。すると氏が″目に見えるもの″の向こう側に見たものが、おぼろげながら浮かんでくる。
 それは、すでに広く知られている氏の思想家としての横顔を伝えるものである。氏は哲学および心理学にも通じ、作品に塗り込められた芸術家の魂をえぐりだす深層心理学的な手法において、鋭い。それは同時に、人間および宇宙の本源といった問題にも、必然的に直面することになるのである。
 私は、氏の言う″根源的なるもの″に迫ったものとそ仏法であることを語ったのだった。
 氏にワインを勧めた。近ごろ酒は絶っているが、きょうばかりは、と言いながら、氏は、グラスに手を差しのばしておられた。ふとグラスから手を離し、例の挙手をして氏は言った。
 「第三の道です。第三の解決法を探る以外にない。資本主義、共産主義の根底にエスプリをおかねばならない。これこそ第三の道です」
 私は、両手を広げて応えた。「大賛成です」。
 エスプリをあらゆる物の根底に据えよ、とは、この対談で、氏が繰り返し強調したことであった。氏は「人間」と「宇宙」という永遠に対置されるもののあいだに立って、両者を調和せしめ、両者のあいだに流れ通う生命のダイナミズムに人間をふれさせるもの――それが″第三の道″としての芸術であるとしている。それを現実世界の問題にまで押し広めて語ったのである。
5  ″エスプリのための闘い″と約束したユイグ氏との往復書簡は、それから現在に至るまで、営々としてつづいている。コレージュ・ド・フランスの教授職は退官されたようだが、アカデミー・フランセーズ会員として、幅広く執筆や古美術の保存などの活動に従事し、その合い間を縫って回答を寄せてくれる。その文言にふれると、親しげに右手をあげて氏が歩み寄ってくるような思いがする。
 ″目に見えるもの″からエスプリの深層へ――すなわち、具象より抽象へ、と私たちは、対話を描き広げているわけである。ユイグ氏は鋭敏多彩な回答のパレットを広げてみせてくれる。人間精神の危機を回避するための意匠を、カンバスにどう描き出せるか――。文字どおり、ユイグ氏と手をたずさえての、ひと戦さである。

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