Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ある無名の町医者  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
4  医者がようやく駆けつけてくれた。救急車も電話もなかったころである。気管支にも水が入り、呼吸が苦しかった。生来、丈夫なほうではなかったので、水中でもがき抜き、疲労も極に達していた。しかしお医者さんの顔を見ると、子供心にもホッと安堵した。「どうした」柔らかみのある声で言うと、人工呼吸を施してくれた。水を苦しみながらも吐くと体が一気に楽になった。父はそんな様子を無言で見守っていた。私はこのときほどお医者さんの有り難さを思ったことはない。
 風邪をひいて熱を出したりして往診を仰いだこともあった。母もよく、お世話になったというこの医師は、すでに逝去されている。生まれて初めて、死の恐怖に直面した出来事だっただけに、あのときの医者のにこやかに笑みをたたえた姿が印象に残っている。四十代だったろうか。今ではその顔も、さまざまな人と交錯して、鮮明ではない。
 母はあるとき、そのときに医者を待つあいだ、父には珍しく落ち着きがなかったと、回想していた。父の精いっぱいの愛情の表現だったのであろう。とともに、火急の時に助けに駆けつけてくれた人のことを、人はいつまでも鮮明に思いつづけるものである。私にとって、池に溺れたときの医師は、最高の名医であり、感謝の念が生涯を通じて去らないのである。
 と同時に、私はあの出来事で、父の体温のぬくもりを実感した。寡黙な父だったが、二、三日たって「どうだ、もう大丈夫か」と言った。池の近くで遊ぶなとか、こごとめいたことは、いっさい言わなかった。
 昭和三十一年、頑固一徹のままに生涯を終えたが、その後も溺れ死にそうになった事件を、父は口にしたことがない。それだけに、あの池は、私と父を今もしっかりと結びつけて、私の心のなかにある。

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