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日蓮大聖人・池田大作

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ローマ-クラブ創始者 ぺッチェイ氏  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
2  芝生の庭にパラソルを立て、ソファを持ち出して、にわか造りのサロンとした。
 パリ陽春の空は抜けるように青く、日は燦として降り注ぎ、芝草の葉裏にひそんでいた朝方の露もとうに消えていた。庭は幾種類かの樹木にふちどられ、リンゴの花が葉隠れに可憐な白を点じている。
 ペッチェイ氏は、日に映える芝生の緑を身に浴び、ソファに深々とくつろいでおられる。
 ローマ・クラブの啓蒙活動は、衝撃的なリポート「成長の限界」などで、世界的に視聴を集めている。その舵取り役のペッチェイ氏が、腕だけの理論家とは違った、むしろ捨て身なまでの実践家であろうと容易に想像できるところである。
 そんな氏の行動性の内面にくぐり入ってみようと、かねて聞きおよんでいた獄中体験をお聞きしてみた。私は、恩師の獄中体験を、私自身も短時日ながら追体験したことによって、大義のための獄であれば、それが生涯の発条になりうると考えている。
 抗ファシズムの地下運動に加わっていた氏は、捕らえられて一年近く投獄されている。政治犯ゆえに拷問にもあったが屈しなかった。虐待され、ひどい目にあった。死をも幾度か覚悟したが、保証人となって弁護してくれた友人も、拷問に耐えてくれた、おかげで、ついに自由の身となったという。
3  他に身のおきどころのない獄中は、人間を自分自身に突き戻す。心の回路を果てもなくたどり、深い深い内省のいきつくところは、自己の立脚地の揺るぎない定立であろう。
 「暗い牢の中で、初めて自分という存在を知りました。絶えまない不安に襲われながら、私は、将来のことを考え抜いた。未来再び、こんなことを起こしてはならない、それだけを考えました」
 自余の人に二度と戦争の残虐があってはならぬ、そのために世間をよく知り、尽力しよう、と強く心を固めたという。「だから、逆説的にはファシストからも教えられたというわけなのです」と、氏は肩をすぼめて、そういう意味なら、今では彼らを許す気持ちになっている、とも語った。痛手を受けたぶんだけ強く鍛えられ、人間的にも向上することを得たのである。
 獄中の友情と、敵からも学んだという氏の宏量な心境には、私も強く打たれた。それから私たちは、ひとしきり権力の魔性の問題について語り合った。
4  戦後の滔々たる復興の機運のなかで、氏もフィアット社の役員として、工業生産の増進に力を貸した。産業振興こそ戦争に苦しんだ大衆を救う道と信じ、乗用車などを大量生産し、世に送ったのである。
 しかし、やがて自分の努力が裏目に出たことを知る。乗用車の過剰が公害をもたらし、開発途上国への企業進出が、それらの国々の経済を圧迫していた。そして、それが人類共同の課題ともいうような様相を示していることを、痛烈に認識するに至った。自分もその責任者の一人である――そんな悔悟の念が、氏をローマ・クラブ設立へと駆り立てていったようである。
 いうなれば、獄中で練り上げられた未来への覚悟が、人類生存の道を探るシンクタンク、ローマ・クラブとして結晶したのである。
 そんな氏のモラル・バックボーンに、″ヒューマニスティック・レボリューション″という思想があって、対談の席でも、このことに話題がおよんだ。かりに″人間性革命″とでも訳せるだろうか。
 「人類はこれまでに産業革命、科学革命、テクノロジー革命の三つを経験してきました。これらはいずれも人間の外側における変革でした。次にわれわれは人間の内部の変革を必要とする。全人類の心の変革をこそ求めるべきです」
 ――人間に焦点をしぼりあげている。胸に響く発言だった。
5  氏がこの″人間性革命″と、仏法思想に基づく″人間革命(ヒューマン・レボリューション)″の概念の違いを私に質されたので常日ごろの所信はお答えした。また平和、経済、文化といったあらゆる局面での変革も、人間革命をいしずえとしてこそ永続的なものになる、これを忘れては文明の転換を叫ぼうとも砂上の楼閣に終わろう、というような私の信念にも耳を貸していただいた。
 「一個人にとって、人間革命には、どれほどの期間がいるか」「集団の場合は?」など、氏の質問は矢継ぎ早であった。
 温厚で、ダンディーな風貌だが、眉根には、時折、一片の峻烈さを汲みとることもできた。対談は二時間半におよび、論題もさまざまだったが、氏の獄中体験と″人間性革命″とが、とりわけ印象深かった。その二つには明らかに脈絡があった。氏自身の人間性の中央部に起きた変革の軌跡を、おぼろげながらたどりえたようにも思えた。
 また、アーノルド・トインビl博士にまつわる思い出が話題にのぼり、氏も懐かしげに「古い友人です」と言った。五年前、博士との対談の終わりに、ぜひ会うようにと七人の友人を推薦してくださった、その一人がペッチェイ氏である。これで博士の好意に多少なりとも報いることができた。
6  その後も、ペッチェイ氏は、忙しく世界を駆けているようである。
 先ごろはローマ・クラブの創立十周年記念総会がローマで開かれ、そのときの氏の演説内容が新聞にも報道されていた。その後、氏から演説の全文が送られてきたので、翻訳されたものを読んだ。かなり長い原稿の最末尾が「大切なことは、人間を最大限に開発すること、現代のあらゆる改革の頂上に立つ人間の変革を成し遂げることである」と結ばれている。″人間の変革″を英文原稿で照合すると、human revolutionとあった。
7  氏と私の思想、実践は、″人間″の一点において固く握手する。パリ五月の青空に恵まれた私たちの出会いは″人間性革命″と″人間革命″の出会いであったと思い出されるのである。

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