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日蓮大聖人・池田大作

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大世学院 高田勇道院長  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
4  雨もウソのように晴れ上がった夜の坂道を下りながら、満天の星座のもと、私は、満ち足りた心で、足も軽かった。「波浪は障害に遇うごとに、その頑固の度を増す」。一日の疲れは吹っ飛び、希望と勇気があふれできた。
 その後、私は、少年雑誌の編集に携わるなど、忙しさも増し、夜学へ通うことも断念せざるをえなくなった。高田先生に会えないことは、まことに悲しいことだった。
 昭和二十六年三月、先生の文字どおり命を削るような努力のかいあって、大世学院は富士短期大学となった。その直後の五月、先生は、四十二歳の若さで逝去された。まさに生涯を教育に棒げ尽くした炎の一生であった。後年、富士短大から卒業論文提出の機会が与えられた。やがて、教授会一致で私は富士短大の経済学科の卒業生となった。
 先生の作詞された校歌は、次代を拓く若人への限りない夢にあふれでいる。
 「一、春爛漫の夢さめて 匂える花の移ろへば 世は盛衰を嘆けども 世は盛衰を嘆けども 至誠の矜厳かに 文化の流れ拓かんと 破壊の嵐吹きすさぶ 曠野を進む若人の 燃ゆる瞳に希望あり……」
 先生は、学問的英知に輝く実践的教育者であったが、また、永遠の青年詩人でもあった。

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