Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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静かに燃える目 ジョン・ガンサー氏  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
2  この返事を確かめてから、質問させてもらったのである。まず、彼の『アメリカの内幕』『ヨーロッパの内幕』『ラテン・アメリカの内幕』『ソヴェトの内幕』といった著作の意図や反響を尋ねた。当時、日本でも内幕ものが流行っていた。氏はいわば時代の寵児だった。三十か国語に訳され、来日前に南アメリカのものを完結した、と答えたが、私も後日南アメリカの内幕』は読んだ。
 すぐ目に光は戻っていた。しかし、これは対面した初めから感じていたことなのだが、物腰も、言葉運びも、まるで氷の上を歩いてでもいるかのように、じつに冷んやりと物静かなのである。それは六十五歳の年齢からくるものではなく、持って生まれた性向のようであった。着ている薄紺色の背広も地味であり、ほとんど無表情である。やや前かがみの姿勢で、面はあげ、頭髪をオールバックに硫いた彼の静かな雰囲気は、休息する鷹の趣がある。ただ、目だけが静かに燃えて、その奥に含ませた質問の針が、いつ飛び出してくるかしれない、という冷徹さがあった。
3  つづいて私の質問は、アフリカの未来や米ソ接近、米中戦争の可能性、ベトナム解決の方向性といった国際問題から、核時代における宗教の役割、指導者論にまでおよんだ。
 当時は、アメリカのベトナム介入が泥沼に踏み出していて、アメリカ国内の学生の徴兵拒否がクローズアップされていた。「わたしも学生だったら同じことを考えるでしょう」私の質問に、彼の答えは意外にさっぱりとしたものだったが、これは本音と思えた。すると、夫人が「いや、私は夫と反対です。学生たちは口でやかましく反対を叫ぶけれど、実際はそうじゃないようです」。
 夫妻の意見が分かれた。それにしても、ガンサー氏の言葉は短かったが、人間的な一面を垣間見させるものではあった。
 指導者論では、彼は、偉大な人物としてウインストン・チャーチルの名を挙げた。インテレクチュアルな人間、バランスのとれた、物事の両側が観られる人間が好きだ、と言いながら「しかし大事件に対処してこれを克服し解決する人はインテリではない」「チャーチルは、結局は自分一人で、難題を克服していったわけです。インテレクチュアルじゃないけれど、偉大だった」とも言った。また、指導者として望ましい資質は″勇気″であり、チャーチルにはそれがあった、とガンサー氏は語った。こうした着眼点は、私も共鳴できるものだし、彼の人物観としてここに紹介しておきたいと思う。
 「こんどは逆にわたしのほうから質問したいのですが」ガンサー氏の私に向ける視線が、じっと動きを止めたように思えた。私の質問も一段落したとみたのか、攻守ところを変えることになった。彼が発した質問は、学会の現状やら、私個人の経歴やら、ということだった。
 彼は瞳を手元のメモに返して、私の答えを丹念にしるしはじめていた。彼には″メモ魔″の異名がある。ありきたりの資料に頼らず、克明にメモしぬいたノートを整理、分類し、そこからあれほど反響を呼んだ膨大な著述となったのであろう。
 彼の目が、メモと私とを忙しく往復しはじめた。
4  対談は一時間で終わった。当初二時間を予定していたのだが、ガンサー氏のなにかの都合で急に短縮したものである。私は、この一種異風のジャーナリストともっと語り合いたかったし、彼も「もっと質問したいと思いますが」と、別れぎわに初めて目もとがゆるみ、名残惜しげであった。対談の一部始終は「中央公論」に掲載されている。「アメリカで」とは約したものの、それから四年ほどでガンサー氏は不帰の客と、なってしまった。
 なんといっても、やはり人物ではあった。鉄のような信念で事実を掴み、えぐり、料理するという迫力を内にたたえた顔つきである。地味で、饒舌でなく、意気揚々とせず、世界的なジャーナリストぶりはむしろ感じさせなかった。しかし約束を破りでもしたらテコでも信用しない、あるいは暴漢の十人ぐらいでも動じないというような剛直な芯が一本貫いていた。質問の出し方には、さすがなものがあった。じっくり一つ一つを究明しながら積み重ねていくタイプで、派手ではないが、いささかも疎漏がない。獲物を見つけると、遠回りしつつも布石を積み、ついに捕捉する。
5  そんなガンサー氏のすべてが、目に凝結していた。暖衣飽食のみを人生の目途におくような人間には、あの目はない。真実をえぐりだすことに自分を賭けてきた者の目が、彼の全身に張り巡らされていたのである。
 目には一個の人間のすべての表現がある、と私は考えている。そして、これも私自身の今日までの実感だが、故周恩来首相をはじめ、コスイギン首相、キッシンジャー氏など、いずれも相手の目を正視して、腹の底まで見透かすがごとく、決して視線をそらすことはなかった。ガンサー氏もまた、正視が身についた人であった。

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