Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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あるアパートの夫妻  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
2  さあ、配達だ。この家は、ポストがある家だったな。次は、なかったな。よし、玄関のすき間から、そっと入れる。まだ、寝ている家の人びとのじゃまをしてはならない。この家の人は、いつも朝が遅いんだ。手の指が、かじかむ。コンクリートのたたきに、朝刊がバサッと落ちる。冷やっとする。
 路地裏。自転車を置いて、新聞をとわきにかかえて一軒、また一軒……。強い風にあおられて、木戸があく。シェパードが飛び出してきた。吠えながら迫ってくる。逃げられない。私は揮身の力をふりしぼって、ゲンコツで殴りつけた。その必死の形相にか、大きな犬は、風に揺れる木戸のなかに姿を消した。
 肩で呼吸しながら、汗をぬぐった。
 快い勝利感にひたりながら、凍てついた田圃のなかの霜だたみの道を行く。東の空が明けはじめた。わが小学校が、冬の暁を背景に、影絵のように浮かび上がる。毎日、同じ時刻に、同じ道を通っていると、きのうよりもきょう、きょうよりもあす、と刻々と日の出が早まっていくのがわかる。夏至を過ぎると、逆になるのだが、ともかく早起きは、暦の微妙な変化を、肌で実感させてくれる。
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 辛いときもある。冬の雨の日など、何度やめてしまおうかとも思った。しかし、朝のさわやかさ、すがすがしさはなんともいえない。春の曙、夏の涼しい朝……。歩いているだけで「生」の充実を感じてしまう。それに、体の弱かった自分を健康にしたかったこと。もう一つは、出征中の兄たちの分を補って、少しでも家の手伝いができれば、ということもあった。
3  学校を過ぎ、ペダルを踏む足に力が入る。砂利道を曲がると、平屋のアパートが目に入ってきた。二十戸ぐらい入っているのであろうか、横に長い棟がつづく。中央の玄関口のドアを押し、左へ折れる。
 廊下で、七輪を出してご飯を炊いている若奥さんの笑顔があった。「おはようございます。ハイ、朝刊です」「ご苦労さま。いつも元気ねえ」。新聞を渡して、立ち去ろうとすると「あっ、そうそう、大ちゃん、ちょっと待ってちょうだい」と呼び止められた。
 清楚な紺のスカートに毛糸のセーターを着た若奥さんは、炭火をあおぐ手を休めながら、部屋の中のご主人を呼ぶ。「ほらっ、きのう、田舎から送ってきたあれ……。棚の上にあげてありますでしょう、取ってくださらない」。
 背が高く、髪の長い、ダンディーなご主人が、なにやら新聞紙に包んで、出てきた。
 「やあ、寒いのに、大変だねえ。勉強して、偉くなるんだよ」。年は三十ぐらいであったと思う。たいてい茶系統のズボンをはいている学者風の紳士だった。当時は、東京の田舎といってもよかった半農半漁の私の故郷では、この若夫婦のような、いかにも教養あふれる感じの家庭は、珍しかった。
 「これはね、きのう郷里の秋田から送ってきたの。よかったら召し上がって……。父さん、お母さんにも、よろしくね」
 それは、真っ白い粉がふいた香ばしい乾燥イモであった。そのころ、私たちは、蒲田の方言なのか、乾燥イモをイモカチと呼んでいた。貴重なイモカチを、両腕いっぱいにかかえ、私は幸せであった。
 その若奥さんは、二十七、八歳の聡明そうな品のよい方であった。子供がいなかったせいか、夫妻して、わが子のように歓待してくれた。朝、新聞を配っていても、ほとんどの家庭は、顔も見えないし、たとえ会ったとしても無愛想で、寝ぼけ眼の人が多かった。このお二人は、いつも健康そうで、誠実に、節度をもって、微笑みながら迎えてくれた。
 ある日など、夕刊の配達を終えてから、夫妻で夕食に招いてくれた。兄たちが兵隊に行っていていないこと、父が病気で倒れたこと、海苔の家業も大変なことなど、家庭の事情もいろいろ聞いては、発明王エジソンも少年時代に新聞の売り子をしながら勉強した、小さいときに苦労した人が幸せなのだ、と励ましてくれるのであった。
 秋の日――沈みかける太陽は壮観であった。天高く水澄み、秋風に鰯雲が飛んでいた。河原には美しい秋草が咲きみだれ、虫の音が聞こえる。私は、学校から帰ると夕刊を終え、ひとり六郷川の土手にトンボ捕りに行った。尾花を穂状に咲かせた芒が、川風に揺らぐ。銀ヤンマが翅を左右にピンと張って悠々と飛んでいる。少年の世界はいつも平和である。川に石を投げると、清らかな波が幾重にも走る。秋気澄む対岸に視線を移す。はるか川崎の空遠く、小さな富士が、静かに夕焼け空を切り取っていた。
4  川沿いの道を、ゆっくりと歩いてくる二人連れが目に入った。私は、すぐに気がついた。
 先方も、気がついたようだ。アパートの若夫婦である。秋の夕暮れの道を、三人して暗くなるまで歩いた。
 「こんどの日曜日にでも、三人でピクニックに行きましょうよ」「それは、いいなあ。大ちゃん、どこへ行きたい?」
 なぜか、私は、断わった。照れくさかったのか、日曜も朝夕の新聞配達があるから、と思ったのかは、よくわからない。まもなく、夫妻は、どこかへ越されていった。少年の日々は、はるかに遠く沈み去ったが、この懐かしい思い出は、いよいよ私の心のなかに生きてくる。

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