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日蓮大聖人・池田大作

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小学校の担任 檜山先生  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
2  五年、六年の担住が、檜山先生であった。
 額がとても広い。やや縮れ毛で少しウエーブがかった髪、大きな目、明快な語り口、すらっとした体格、若さに充溢した動作……。先生は、生徒たちの憧憬の的だった。いつも、凛々しい姿で、足早に教室に入ってきた。小柄な私は、前のほうの席である。
 檜山先生の授業は、今でも深い印象として残っている。名講義は、正規の授業ばかりではなかった。先生は、授業を早めに終わり、ご自身も待っていたかのように、吉川英治の『宮本武蔵』を読んでくれた。少しずつであったので全巻を終えるのに一年近くかかった。剣聖の生涯を漂泊しゆく、凄絶な修行、巌流島の決閥、猩々緋の羽織姿の小次郎、櫂を削って作った木剣の武蔵――少年の夢は躍った。抑揚のある、そのときの音調、身ぶり、手ぶりとともに、教壇はまさしく、一つの舞台であった。
3  先生については、こんな思い出もある。授業中、二、三列後ろの席で、ざわめきが起こった。援り向くと、一人の級友が、真っ青な顔をして、幅吐している最中であった。さっと駆け寄ってきたのは、先生であった。その生徒を励まし、ハンカチをポケットから取り出しで、胸をふく。上着を脱ぎ、教室を出ると、バケツに水をくんできた。雑巾で、汚れた机、床、本をきれいにぬぐいさつてから、その生徒を抱きかかえて医務室へ連れていった。そのときの、全力投球の姿は、瞼に、さわやかに焼きついている。
 先生には、一人ひとりの生徒に、それとなく気を配って、すべての生徒の特質を、それなりに生かして、立派な人間にしようとの熱情があった。滅多に、やかましいことは言われなかったが、厳しい点は毅然としていた。冬のある朝、あまり寒いので、規則を無視して勝手に数人の悪友とストーブに石炭を焚いた。それを見つけた先生は、叱咤された。そして、規則を破ったとして、全員が廊下に立たされたことも、今は懐かしい思い出である。
 上から、なにか制約されるような怖いという先生ではない。しかしながら、なんとなく心を正さずにいられない――こんな先生であった。ともかく、腕白ざかりの少年の活発な生活感情と鋭敏な心を、大切に育てようとされていたのであろう。守るべきことを、自然のうちに納得させながら教えていく先生であった。
4  六年生の正月であった。数人の友だちと楢山先生のお宅へうかがった。池上の辺に家はあったように思う。先生は和服姿で、とても喜んで私たちを迎えてくださった。心尽くしのお汁粉で歓待してくださった。書棚には、吉田松陰に関する本がたくさん並んでいた。松下村塾生への教育に、激しい短い生涯を打ち込んだ松陰に、深い共感を覚えておられたのであろうか。
 私たちは、先生の家で楽しい時間を過ごし、大満足であった。同じ先生も、教室では、どうしても教師という目で見てしまう。個人のお宅では、人間先生という、また新鮮な目で見る。先生は、玄関のところまで送ってくださった。小学校の児童を、一人の大人として遇してくださっていたように思う。プラトンは、書物は生きた人間の影に過ぎないと考え、生きた人間と人間の打ち合いのなかにこそ、自らの人格の昇華と、人生の解答が得られると信じていたようだ。――大人として全人格同士を打ち合うところに、生きた教育が生まれるのであろう。卒業式のお別れのときに、一人ひとりの生徒の顔をじっと見つめながら、大粒の涙を流されたあの姿は、忘れることはできない。
5  十年前、末っ子の父兄として、校内誌に、檜山先生の思い出を書いたことがある。
 ――六年生のとき、関西に修学旅行をした。生まれて初めての長い汽車の旅で、愉快でたまらなく、気も大きくなってしまい、たんまりあったお小遣いもなくなってしまった。
 檜山先生は「池田君、君の兄さんたちは兵隊にいっているんじゃないか。お父さんや、お母さんに、お土産をあげなけりゃいけませんよ」。
 そう言われればそうである。私はションボりしてしまった。檜山先生は、私を階段のかげに呼んで、そっとお小遣いをくださった――。
 そのときの喜びと感謝は、歳月が経過するほど大きくなっている。
6  五年前の晩秋、それは木枯らしが吹く、寒い、寒い日であった。私は、上野駅から列車に乗って、栃木県の宇都宮に向かった。県の体育館で催される会合に出席するためである。日はもう暮れていた。会場に着いて驚いた。檜山先生ご夫妻が待っていてくださったのである。
 栃木県の校長を定年退職され、悠々自適の人生を送っておられた。私は、真実の教育者のたどりつく風貌と、坂を上りきった一人の教育者の姿を見る思いがした。淡々とした口調からは、幻の有名道を拒絶し、栄誉栄達をはるかに見下して、ひたすら教え子たちの姿を見守っている広くも深き、師の心が感じられた。ご自宅へおじやましたい思いであったが、その日はとんぼ返りで、夜遅く上野へ向かわざるをえず残念であった。必ず来年はお伺いしますと、固いお約束をしながら、いまだ、それも果たせず心を痛めている私である。
7  たまに、盆暮れに粗品を贈らせていただくことがあるが、先生は、必ず丁重など返事をくださる。また、ときには励ましのお手紙もくださる。先生にとっては、いつになっても教え子は「あの子」であり「この子」である。有り難いものである。最近のお手紙には「高木は風に妬まれる」という諺が引用されていた。お手紙はすべて、妻が、大切にとってくれている。

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