Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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初老の駅員  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
2  品川駅まできたときのことである。私たちは、京浜急行に通ずる階段に向かって、ホームを歩いていた。するとまもなく、向とう隣のホームに列車が入ってきたのである。兵隊を満載している。出征列車であることが、一目でわかった。「あの中に喜一が、もしや……」と母は口ごもった。母はもう早足に歩き出し、出征列車の窓から窓へと追いはじめていた。
 長兄らしい人影は見当たらない。平日午後の駅は閑散としていて、私たちのいるホームにも、ほとんど人はいなかった。
 そのとき、こちらに駆け寄ってくる駅員がいた。濃紺の詰め襟の制服を着て、動作はきわめて敏捷である。年齢は五十歳前後であったろうか。私たちの動作を見てとって、飛んできてくれたようである。
 「このなかの兵隊さんで、知っている人がいるのですか」。駅員は、せき込むように尋ねてきた。「もしそうだったら、私が大きい声で呼んであげましょう」と言う。この急場にこれほど有り難い援軍はない。メガホンを手にしている。前かがみで、母と私の顔を見つめる駅員の態度には、真剣さと、誠実味があふれでいた。母は、たった今、東京駅で長兄と面会してきたことを手短に説明した。「で、何という名前です?」と駅員。「池田喜一といいます」と母は答えた。
 すぐさま駅員はメガホンを口にあてた。そして、線路を隔てて停車している出征列車に向かつて「池田喜一さん、いますか」「池田喜一さん、あなたのお母さんがきていますよ」と揮身の力で声を張りあげながら駆けだした。長兄の名を呼ぶ声は、静かなホームにびんびんと響き渡った。駅員は二度、三度、私たちの前を往復した。
 すると、一人の兵隊がそれに気づいたようだ。立ち上がり、車内の奥に向かって「おーい、池田喜一!」と呼んでいる。
 ああ、長兄がいるらしい。長兄は、私たちとは反対側の窓側にいたようだつた。それゆえに私たちの目にはとまらなかったのだ。手前の窓側の兵隊が、気を利かして座席を立ってくれ、長兄は、そこに飛び込んで顔をのぞかせた。
 列車は静かに動き始めている。母は「喜一、喜一、体に気をつけるんだよ!」と叫んで数歩走ったが、すぐに列車に負けて足をとめた。長兄は窓から日の丸の旗を振りつづけている。私も懸命に手を振った。そのとき、遠ざかる列車と私たちのあいだに、省線電車が勢いよく進入してきて、視界は遮られてしまった。それきり、出征列車は見えなくなった。
 呆然としていた私たちが、われにかえると、傍らに、先ほどの駅員が立っていた。額には汗がにじんでいる。息をはずませながら「よかったですね」とニコニコしている。「ありがとうございました」と母が深々と頭を下げると、その駅員さんは、いかにも満足げな眼差しで、きちんと足をそろえて敬礼した。そして、足早に立ち去ったのである。
3  品川から帰る京浜急行の車中、母は「会えてよかったね」と言ったが、それきり寡黙だった。その無言の母の心は、知りえようはずもなかった。
 長兄は、一度は中国大陸の戦線より帰還したが、再び召集されて、昭和二十年一月十一日にビルマで戦死した。兄の誕生日の翌日であった。その白木の箱を手にした母も、他界してすでにいない
 四十年も前のことである。そのときの感謝とともに忘れ得ぬ駅員さんも、健在ならば九十歳前後になっておられるはずだ。さまざまな運命と波瀾の人生であったにちがいない。

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