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日蓮大聖人・池田大作

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教育の慈父 ペスタロッチ  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
8  一八〇〇年、ブルクドルフ学務委員会からぺスタロッチに宛てた文書がある。「貴君の生徒はこの課業を今までにない完成の程度に果しただけでなく、それ等のうちの最も優秀な者は既に能書家として画家として計算家として秀でている。貴君は総べての児童に歴史、博物、測量、地理等に対する趣味を喚起し刺戟することを知っている」(前出)と。ぺスタロッチに触発された子供たちが、自由に、颯爽と成長していくさまが目に浮かぶ。
 彼の教育法は、分析ではなく、直観を重んじるものであったという。正式の教案はなく、生徒は本も帳面も持たなかった。暗記することも全くなかった。石盤と赤いチョークが与えられ、ペスタロッチがさまざまな事物に関する言葉を話し、子供たちは図をかいた。何を書いてもよかった。子供たちの興味をふくらませ、自身の思想を表現させるのだ。この一見、破天荒なやり方が、教育の心理化という彼の思想に沿ったものであった。
 たとえば、地理を教える場合、大地そのもので観察させ、そとから地図の勉強に入る。博物学は散歩とともに実地で学習された。学校の時間割に体操を採用したのもペスタロッチである。心身にわたる全体教育とでもいおうか。
 子供は何によって学ぶか。決して強制によって学ぶのでもなければ、理念によって学ぶのでもない。ただ興味によって学ぶのである。言葉で学ぶのでなく印象によって学ぶ。与えられて学ぶのでなく、自分で獲得して学ぶのである。
 極端ともいえようが、この一点をぺスタロッチは凝視しつづけた。人生において、他のすべてに失敗した彼は、児童教育の真髄ともいうべきこの一点に成功した。この一点の灯が教育界の未聞の原野を照らす光源となったのであった。不幸と絶望の連続に見える彼の表層の生涯の内奥に、私は、子供たちと未来を仰ぎ語っている、輝くばかりの勝利の讃歌を聞く思いがする。
 ――一八二七年二月十七日、友人、家族が見守るなか、唇に笑みを浮かべつつ、この教育の父は八十一歳の生涯を閉じた。遺言通り、村の子供たちが葬儀の列に加わったという。

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