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日蓮大聖人・池田大作

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東西を結んだ若き情熱 アレキサンダー  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
6  その戦いの鮮やかさと激しさのゆえに、アレキサン、ダーに敵は多かった。何度か暗殺されそうになり、そのつど切り抜けた。しかし三十二歳、日の出の勢いの若者のとどめを刺したのは、おそらく一匹の蚊であった。高熱に侵され、雄図半ばにして、若き大王は倒れた。しかも、そのあとを継ぐ人材群が彼にはいなかった。天才の悲劇なのかもしれない。
 指揮者にとって、後継のないほど哀しく寂しいものはない。アレキサンダーはどこまでも孤高であった。
 あるいは、悲しくも彼はそれを悟っていたのかもしれない。それゆえに、自分の一代で一切を成し遂げようとしたのであろうか。地道で着実な思想の王道、平和の王道を避けて、武力の覇道に拠ろうとしたところに、彼の失敗と悲劇がある。
 私はアレキサンダーに二つの影を見た。それは古い時代の人としてのアレキサンダーと、未来への方向をもったアレキサンダーである。
 すなわち、アレキサンダー一代で築かれ、それを限りに滅びていった帝国の大王としてのアレキサンダーと、それが発端となって、ヘレニズム文化の多彩な開花があり、東西に文化の興隆が起こり、さらにはローマ帝国の出現へと、世界史が流れ込んでいく、その水源としてのアレキサンダーである。
 前者のアレキサンダーは死んだ。儚い生涯であった。その名がもてはやされる軍国時代も、死んだ。しかし、文化の興隆者としてのアレキサンダーは、いまだ死んでいないと思う。そしてその名を評価する、人類平等の精神文明の時代は、今、暁光が差し込み始めたところであるといえまいか。この陽光が大きく世界を覆うとき初めて、帝国ではなく、人類が志向しているであろう、人間の人間のための世界国家ともいうべき、理想郷が出現するといってよい。
 私は、文化の交流ほど、息の長く、尊い作業はないと考えている。東西に精神の懸け橋を渡すことが、これからのなさねばならぬ、緊要にして永劫の目標である。しかもその主役は一人の王ではなく、広範な民衆である。その意味でアレキサンダーの通った道を逆に、精神の遺産を携えて、互いに交流しあいつつ遡行してみたいというのが、私の夢なのである。

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