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日蓮大聖人・池田大作

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魯迅の懊悩と勇気  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
6  そうした魯迅に、人びとは指導者たることを求める。しかし魯迅は指導者であることを拒否しようとしている。「器ではない」というのが彼の理由であった。しかし「器ではない」と知ることのできる人がいかに少ないことか。また、真実そうではないのに、指導者であると錯覚し、振りかざす人のいかに多いことであろうか。
 魯迅には「器である」とする倣慢が許せなかった。世人にも、自身にも……。なによりも人間の愚劣さ、不完全さを知り過ぎていた。彼は人を「導く」ことを拒否したのではなく、「上から」導くことを拒否したのである。むしろ魯迅は「下僕」として、誠実な自己犠牲をもって中国国民の精神改造に尽くした、真実の意味での「指導者」でもあった。
 晩年、日本の対中国侵略は激しくなる一方であった。日本に留学し、多くの知己をもち、愛情さえ感じていた魯迅は、日本の横暴をどのような気持ちで受け取ったであろうか。なかには日本への敵対などできまいと広言した人もいた。しかし魯迅は、やはり人間を抑圧する勢力と戦うことに変わりはなかった。
 魯迅は国民党側ではなく民族統一戦線を支持したが、組織に属することはしなかった。そして戦いのさなか、急激な死が訪れる。一九三六年、満五十五歳であった。その死は早過ぎたような気がする。彼も無念であったかもしれない。彼の死を待っていたかのような、以後の中国の大変動を、生きていたらどう受け止めたであろうか。
 その死にもかかわらず、魯迅は中国の精神的支柱となりえた。毛沢東率いる新中国にあっても、魯迅の地位は変わらなかった。のみならず、日本においても光彩を放ちつづけている。魯迅の精神の深みは、やはり彼を指導者たらしめたのである。

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