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日蓮大聖人・池田大作

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魯迅の懊悩と勇気  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

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2  魯迅の生涯は、色でいえば暗鬱な灰色に包まれている。一八八一年に生まれた彼は、没落する中産階級の悲哀を、幼少時代に身に滲みて体験する。絶望的な重病に喘ぐ父のために、質屋と薬屋に通いつづけた日々。貧困を極めた一家は、彼に官吏の試験を受けさせることすらできない。手の平を返したような世間の眼――のちに留学した日本でも、魯迅はそれを意識させられる。
 日露戦争が留学の途中で起こる。ある日、幻灯で、ロシア軍のスパイを働いたと裁定された中国人が日本軍に手を切られる場面を見てしまう。画面では、多くの中国人が表情もなくその光景を見つめていた。そしてその幻灯に、喝采をもって見入る日本人学生。そのとき魯迅は、将来進もうと考えていた医学への道を自ら断念し、愚弱な中国国民の精神の改造を志して、文芸の道に入るのである。
 その行路でも、彼の意は報われないことが多かった。辛亥革命が起こり、彼なりに挺身したが、そこで展開された妥協、欺備は魯迅を底知れぬ絶望に追いやった。国民の精神を改造するに足るだけの真実の革命は行われない。しかも、そう痛憤する彼自身のなかにも、否、人間そのもののなかに、払い落とそうとしてかなわぬ愚弱さが潜んでいることを、自ら悟らずにはいられなかったようである。
 彼の最初の小説とされる『狂人日記』は、その意味で示唆的な作品である。文体においても画期的であっただけでなく、人間をみつめることにおいても、青年を瞠目させるものがあった。
 自分の周りの人たち、家族でさえもが自分を食べようとしていると妄想する狂人が主人公である。強迫観念に駆られた異常さのなかに、じつは、はたして主人公の妄想が単に妄想なのかという疑問が表面に押し出されてくる。古い「家族制度と礼教」が、そこでは痛烈に打ち破られているのであるが、同時に、人間が人間を食うという人間のなかにある魔性が、狂人の目を通して告発されてもいるのである。
 「食人」とは、単なる戦争や殺人のみを意味しはしない。好んで悪をなし、ときには善を欲しつつも悪をなし、ついにはエゴイズムの自縄自縛を断ち切れぬ、人間誰しものなかにある悪の深淵である。
3  中国の歴史、悠久四千年の大地に染め抜かれた人間の業を、魯迅の透徹した眼は見逃さない。というよりも、目をそらすことができないのである。なによりも彼自身、そこに生きているからだ。彼は大地に足を踏ん張り、アトラスのごとく四千年の重みを支える。重荷を投げ出そうともしないし、踏ん張ることをやめようともしない。ひたすらに耐え、痛苦に満ちた模索をつづける。
 それは人間としてなしうる、ほとんどぎりぎりの所業であったと、私の胸には響いてくる。彼が狂人に託して叫ぶ、あまりにも有名な結語「人間を食ったことのない子どもは、まだいるかしらん。子どもを救え……」(竹内好訳、岩波文庫)――私はここに、彼の眼が子供という純粋無垢な心に向かいつつ、最後の限界に至ってもなお人間の善なるものへの信をおこうとする姿勢をみる。
 彼の人間性への洞察は、それほどに深かった。その深さゆえに、社会の積年の病巣を抉る筆致は余人を越えて鋭く、のちに、民衆の大地を離れたプロレタリア文学の観念性をも、厳しく撃つのである。
4  この魯迅の人間洞察は、彼の代表とされる『阿Q正伝』でも、目を背けさせるほど苛烈である。経済力も腕力もない、見栄っぱりで倣慢な農夫阿Qは、自分より弱いとみた相手に突っかかっては忽ちやりこめられ「倅にやられたようなものだ」と自分に言い聞かせることしかできない。その思想の何たるかも知らないで、しかし自分を迫害した連中を見返してやれそうだと感じて、旗色のよさそうな、革命党に与する。もちろん気取るだけである。しかもその中途半端な姿勢と愚かさは、やがて彼自身を、革命党の手によって銃殺刑に処せられるに至らしめる。虚勢を張ろうとしながらも「とっくに目がくらんで」抵抗もなく殺される。無関心そのもので、何事もなく通り過ぎる世間。――この小説を読む者の衣服をはぎとって、あからさまな人間の本性を見せる過酷さが、ここにはある。思わず書を閉じてしまいたくなるような……。
 魯迅は愚劣きわまりない阿Qを、中国国民のなかに、なにより自分のなかに見据えながら、身悶えする思いで掘り出してみせたのであろう。
 激石の『坊っちゃん』が「明」とするなら、『阿Q正伝』は「暗」の極致であろう。中国の国情の底知れぬ不幸のゆえであろうか。筆者の人間性の違いであろうか。
 激石と魯迅の顔はきわめて似ているといわれる。二人とも髭をたくわえ、端正で、眉濃く、物事を正面から直視する眼をしている。その眼は、人間の内面を、自然の背後を探った眼であろうか。
 しかし、そこに漂う色彩は違う。激石には否定のなかの肯定があり、魯迅の顔には肯定のなかの否定があるような気がする。則天去私に達した激石、というより、それでよしとすることができた日本のある種の幸福空間が、激石の背後にはあった。魯迅にはそれが許されなかった。人間に対して、超えがたい悲哀を感じながらも、彼は走りつづけなければならなかった。
 魯迅の偉大さは、ここにあると思う。二つの顔の止揚がそこにみられるからである。哲学の顔と戦士の顔の融合である。魯迅は人間の内面を限りなくみつめた。孤独に、絶望的に、そして激しく輾転反側しながら、見据えつづけた。苦渋に満ちながら、歩き回り、叩き回り、撃ち回った。魯迅にとって精神の改造の出口はみつかったのかどうか。
 それは口で云々するよりも、行動で示すべき回答であった。
5  文学革命という啓蒙運動を通して、魯迅は中国における新文学の中心的存在となっていく。そして一切の社会悪と筆をもって戦うのである。そのときに作り出した戦法は「雑文」であった。無数のペンネームで、手をかえ品をかえ論陣を張った。筆名百を超えるといわれる。論敵が彼に冠した名を加えると、もっと多くなるだろう。ちなみに魯迅という名もその一つである。
 彼の論陣は、″筆誅″という形容があてはまるほど痛烈なものであった。反動勢力の欺摘、糊塗を次々と剥がしていく激しさは「一刀血を見る」と評されたほどである。神出鬼没、敵を攪乱する鮮やかな論陣は、まさにペンの戦士であった。
 魯迅ほど多くの論敵をもった人も少ない。反革命勢力と正面切って戦っただけでなく、革命勢力のなかの弱点部分に目を背けることもしなかった。プロレタリア文学が事実を歪め、誇張し、真実を覆い隠すのは、いまだ観念の域を出ず大衆から遊離したものだと批判したし、芸術至上主義に対してもまた激しく攻撃した。民族主義の御用学派も、彼の面罵にさらされずにはいられなかった。まさに当たるをさいわいなぎ倒すといったありさまである。なぜそれほどの激しきであったか。
 彼の眼は体制に向けられていたのではないと思う。人間の内部に向けられていたのであろう。それゆえに、精神の昇華を歪め、抑圧し、既定された思考形態を押し付けるいかなる倣慢も、真実を覆い隠し、忍従を強制するいかなる旧弊も、彼には許せなかったのである。単に体制さえ変えればよいというのではない。すべての悪が、彼にとっては攻撃目標だったのであろう。
 彼の、精神への洞察の深さがすべての「悪」を暴露していった。自らが弱小、愚劣であることを知り、その懊悩を突き抜けた強さが、魯迅には漲っている。当たりさわりのない論評は、彼には偽善でしかなかったのである。
 こう考えると、彼の激しさと深さに、一本の絆がみえてくる思いがする。人間の本性を垣間見た強さは、真実の強さである。それはあたかも、死を恐れぬ兵士が突撃するよりも、死の恐怖を知った兵士が突き進む勇気を想起させる。
 知らないで猛進する力は、脆く、儚い。たちまち挫折し、犠牲を生み、人間性を蹂躙してしまう。しかし、苦悩の果てに掴むだ確かな洞察は、強靭にして永続する力をもっ。絶望に陥ってぺンを折るのでもなく、人間に目を背けて猪突するのでもなく、深い確信から発した光を、魯迅は全国民に放ちつづけた。
6  そうした魯迅に、人びとは指導者たることを求める。しかし魯迅は指導者であることを拒否しようとしている。「器ではない」というのが彼の理由であった。しかし「器ではない」と知ることのできる人がいかに少ないことか。また、真実そうではないのに、指導者であると錯覚し、振りかざす人のいかに多いことであろうか。
 魯迅には「器である」とする倣慢が許せなかった。世人にも、自身にも……。なによりも人間の愚劣さ、不完全さを知り過ぎていた。彼は人を「導く」ことを拒否したのではなく、「上から」導くことを拒否したのである。むしろ魯迅は「下僕」として、誠実な自己犠牲をもって中国国民の精神改造に尽くした、真実の意味での「指導者」でもあった。
 晩年、日本の対中国侵略は激しくなる一方であった。日本に留学し、多くの知己をもち、愛情さえ感じていた魯迅は、日本の横暴をどのような気持ちで受け取ったであろうか。なかには日本への敵対などできまいと広言した人もいた。しかし魯迅は、やはり人間を抑圧する勢力と戦うことに変わりはなかった。
 魯迅は国民党側ではなく民族統一戦線を支持したが、組織に属することはしなかった。そして戦いのさなか、急激な死が訪れる。一九三六年、満五十五歳であった。その死は早過ぎたような気がする。彼も無念であったかもしれない。彼の死を待っていたかのような、以後の中国の大変動を、生きていたらどう受け止めたであろうか。
 その死にもかかわらず、魯迅は中国の精神的支柱となりえた。毛沢東率いる新中国にあっても、魯迅の地位は変わらなかった。のみならず、日本においても光彩を放ちつづけている。魯迅の精神の深みは、やはり彼を指導者たらしめたのである。

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