Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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レオナルド・ダ・ヴインチの眼光  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
5  彼が生きた一四〇〇年代から一五〇〇年代にかけての時代は、文化的には絢欄たるルネサンスの花が開いたときであったが、政治的には未曾有の混乱期にあった。マキアベリが活躍したこの時期は、権謀術数の渦巻く戦乱の時代であった。レオナルドは、自ら時代の荒波にもまれながらも、しかしこうした政治の世界にはほとんど言及していない。同じ時期を生きたミケランジェロが、生活の不安と動揺のなかで苦悩し、激情し、絶望しながら生きたのに対し、レオナルドは、静かな湖水のごとく、その水面に一切を映し出しながら、人間と自然の発見に刻苦の歩みを着実につづけていたのである。
 彼が手がけた分野は、人類に普遍な分野である。彼の「眼」は世界に向けられ、未来に向けられていた。その彼にとって、一国の利害に明け暮れ、変転常なき闘争の政界は、自らを没入させるに値しない世界と映ったのではなかろうか。
 彼はむしろ、盛衰を繰り返す世の諸相をみればみるほど、そこに生成死滅の理をみていたのかもしれない。彼はただひたすら、自己の宿命に生きたのである。
 彼は言う。「星の定まれるものは左顧右眄しない」と。彼は世に尽くすことを願いながら、疲れを知らぬ努力をつづけた。しかし、彼の仕事は、すべて未完成に終わったようである。
 だが、生涯にわたる飽くなき自己探究の姿勢は、彼の言葉とともに、今も私の心を打ちつづけてやまない。
 「可哀相に、レオナルドよ、なぜおまえはこんなに苦心するのか」(前出、『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』)

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