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日蓮大聖人・池田大作

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不滅の巨峰 ゲーテ  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
2  ゲーテは人間を語い、人間を描き、そして人間を創造した。彼にとって神とは、人間の内に、否、万物の内にある何かである。
  一体外部から世界をうどかす神とは何だろう。
  ただ指の先で全宇宙をめぐらせる神とは何だろう。
  神は真実世界を内部からうごかすのだ。
  神は自己のなかに自然をいれ、
  また自然のなかに自己をいれる。
  されば、神のなかに生きるもの、
  神のなかに存在し作用するもの、
  一切が神の秘密な力と神の精神をやどさねばならぬ。
  
  人間の内部にもまた全宇宙がある。それゆえ、
  おのれが知るかぎりの最善至高のものを、
  「神」と名づけ「彼」と呼び
  おそらく神を愛するものは
  古代の国々の民の褒むべき習しだ(前出「エピグラム」)
 ゲーテの青春の一時期を彩ったシュトルム・ウント・ドランク(嵐と怒清)の運動はヨーロッパ、なかんずくドイツ民族の精神を覆ってきた中世的神の観念を吹き払う、人間の叫びであった。
 その運動は、六十余年の創造につぐ創造の人生にあっては一つの波浪にすぎない。だが先輩へルダーの影響下にゲーテが繰り広げた戦いは、ドイツ文学全体に一つの新しい時代をもたらすに十分であった。
 シユトルム怒濤ドランク――それはまさに、深い霧に佇むゲルマンの森に吹き荒れる嵐であり、キリス
 ト教修道院の足元を突き崩す怒濤であった。しかしそれは、霧が晴れ牢固たる石壁が崩壊したあとに、燦たる太陽を浴びて生を謡歌する人間群像が乱舞する序曲でもあった。
 この時期の代表作は『若きヴェルテルの悩み』である。自身のシャルロッテ・ブフへの激しい恋の体験と、友人イェルーザレムの自殺を素材に一気に書かれたこの小説は、全ヨーロッパに熱狂的陶酔を呼んだ。一七七四年、ゲーテ二十五歳のときであった。
3  その翌年、彼は、気鋭の公子カール・アウグストの招請でワイマール公国に移り政治生活に入る。公国の財源のため鉱山を開発、また造林事業にも功績を残した。
 この間も『冬のハールツ紀行』『タウリスのイフィゲーニエ』などの作品をものしているが、さすがに多忙な政務のため、創作は停滞ぎみである。
 十年後の一七八六年九月、湯治先のカールスバートを密かに出発して一路イタリアをめざして南下したのは、詩人としてのゲーテの、やむにやまれぬ衝動からであったろう。アウグスト公に無期限の休暇を請う一通の手紙を残したのみで、行く先すら誰にも告げなかったという。ベネチア、フィレンツェを経て永遠の都ローマに着いたゲーテは、四か月間、存分に創造と美術品の見学に遊行している。さらにシチリア島からイタリア各地を巡り、再びローマに戻って十か月を過ごし、故国ドイツのワイマールに着いたのは丸二年後であった。
 帰国後、ゲーテのおかれた境遇は必ずしも快適ではなかったようだ。ワイマール公国での政務は鉱山監督と学芸関係以外は一切自分から断わったが、人間関係の面で周囲は冷たかった。宮廷人たちとのあいだは冷え、ワイマール生活十年の愛人、シュタイン夫人ともこじれた。だが一方でフリードリッヒ・シラーとの交友、またそれを通しての文学的精神の昂揚は、ゲーテの詩人、文豪としての名声を不抜のものとした、実り多い時代を開く。
 シラーは、ゲーテより十歳若く、知り合ったときは二十九歳であったが、『群盗』『たくみと恋』などで、劇作家として不動の名声を勝ち得ていた。ゲーテが直観的であるのに対し、シラーは思弁的という正反対の気質でありながら、否、それゆえにこそ、この二人の協力はドイツ文学の黄金時代ともいうべき、豊かな実りを生み出しえたのである。
 一八〇五年、ゲーテ五十六歳のとき、シラーはわずか四十六歳で逝った。この親友の死に、ゲーテが「私は自分の存在の半分を失った」と嘆いたことは、あまりにも有名である。
4  この時代はヨーロッパの一大激動期でもあった。大革命を経て新生の意気に燃えるフランスは、ナポレオンを皇帝に戴いて全ヨーロッパを版図に収めようとしていた。一八〇六年、九百年近くつづいた神聖ローマ帝国が崩壊。ナポレオンは一八〇八年十月、エルフルトで全ドイツ諸侯と会見した。とのときゲーテも彼と会っている。ゲーテが退出したあとナポレオンは「これこそ人間だ」と感嘆した。ゲーテもまたナポレオンを尊敬し、数日後、ワイマールにナポレオンを迎えている。
 晩年のゲーテは、周辺ますます寂しくなる。長生きする人の常として、古くからの友を次々と死によって奪われる。六十七歳にして、妻クリスティアーネ逝き、七十八歳のときシュタイン夫人、カール・アウグスト公が相次いで亡くなった。ただ一人の息子アウグストは、ゲーテが八十一歳のとき、ローマで客死している。ゲーテが八十二歳で息を引き取ったとき、その死を看取ったのは、嫁のオッティーリエただ一人であった。
 しかし、彼にとって最期まで老いはなかったようにみえる。五十八歳のゲーテに情熱を燃え上がらせ、長編小説『親和力』執筆のエネルギーをもたらしたのは、十八歳の乙女ミンナ・ヘルツープであった。七十四歳のゲーテは、湯治のために赴いたマリーエンバートで、十九歳の少女ウルリーケ・レーヴェツォを見染めて結婚を申し入れる。だがこれは受け入れられず、傷心の思いを『マリーエンバートの悲歌』として結晶させている。
5  世界的名声を確立した晩年のゲーテのもとには、全ヨーロッパのみならず遠くアメリカからも、王侯、貴族、学者、芸術家が訪れている。画家は競って彼の肖像を描き、音楽家もまた競って曲を作り献じた。ゲーテのもとを訪れ親しく交わりを結んだ人びとを列挙すると、驚くべきものとなる。シラーをはじめノヴァーリス、シェリング、ヘルダーリン、ジャン・パウル、ヴィルへルム・グリム等の文人はもとより、哲学者ではへーゲルあり、音楽家では『エグモント』のために作曲したベートーベン、若きメンデルスゾーン等がいる。
 ナポレオンが「これこそ人間だ」とゲーテを評したごとく、人間としての限りない豊かな心と、自らの苦難に挫けない強さ、そして広い人間愛をもっていたればとそ、これほど多くの締羅星のような人びとが、彼のもとに慕い集っていったのであろう。
 ともかく、ゲーテは長寿であった。単に長く生きたというだけではない。それはフランスの評論家ヴァレリーが「ゲーテにおいてなによりも私の驚くことは、あの非常な長命である」と述べているように、あらゆる試練を己のうちに取り込み、日を追って成熟していく生命律動の確かな拡大であるといってよい。
 恋に、創作に、そして演劇活動にと、彼は生きて生きて生き抜いた。停滞も怯儒もなく、そとには「生涯青春」の気概が貫かれている。ゲーテがあのような大をなした秘密を解く鍵も、そこに潜んでいるように思えてならない。
 その波瀾に満ちた生涯を一望するとき、私は第一に、類まれな持続力を彼の特質として挙げたい。畢生の大著『ファウスト』の執筆に六十余年の歳月を注ぎ込むエネルギーの持続自体、常人のなせる業ではない。多くの芸術家が若くして開花、夭折の道をたどったのに対し、その豊潤な成熟過程は光芒を放つ。
6  第二に彼は、非凡な直観力の持ち主でもあった。スケールの大きさといい、総合的把握の鋭さといい、生命の鏡ともいうべき磨き抜かれた眼であった。芸術的分野はいうにおよばず、とくに注目したいのはその自然観である。彼が『色彩論』等で、ニュートンに代表される近代科学の動向に執拗な警告を発しつづけたことはよく知られる。主客対立を骨格とする近代科学の方法論が、なによりも自然から「生命」を奪ってしまう危険性を、仏法で説く「依正不二論」にも通ずる眼をもって批判しつづけた。
 なるほど彼には、詩人の直観はあっても立証がなかった。近代科学は彼の批判など歯牙にもかけず独走しつづけた。その結果がどうであったかは問うまでもない。近代科学文明の黄昏がようやく明らかになりつつある現在、二十世紀量子力学界の泰斗ハイゼンベルクがゲーテの自然観を再評価している事実をみるにつけ、私はあらためて大詩人の直観力の鋭さに、思いを馳せざるをえない。
7  第三に、彼の人格像に躍如たるものは、汲めども尽きぬ創造力の発条である。彼の多彩な人生遍歴も、高齢にして恋に身を灼き、筆をとりつ事つけていった姿も、あふれでやまぬ内なる生命力の、創造へと向かう発露であった。
 彼はその創造力を「デモーニッシュ(鬼霊的)なもの」とか「エンテレヒー(不滅生命)」と呼んでいるが、そこに文豪の深い宗教性が秘められていたことを見逃してはなるまい。
 彼は愛弟子エッカーマンに語っている。「これはデエモンに血を系くものであり、はなはだ強大であって人を意のままに動かす。そして、人はたとい、自発的に行動していると信じ込んでいても、識らない間に、これに身を供しているのである。こうした場合、人は往々、一段高い世界統御体の道具、すなわち神々しい影響を収受するに辱しからぬ器とも考えられる」(『ゲーテとの対話』神保光太郎訳、角川書店)と。
 ここに述べられた人間観は、キリスト教とは明確に一線を画し、人間を神にも比すべき高みにおこうとするものである。ほかならぬ人間こそ、エンテレヒーの体現者であるからだ。彼の波澗万丈の生涯はその縮図ともいえよう。
 若きゲーテが身をおいたシュトルム・ウント・ドランクとは、文学にとどまらず、広く旧時代の価値観を否定しようとする、澎湃たるエネルギーの噴出であった。この運動は、その後、古典主義、ローマン主義へとさまざまな紆余曲折をたどるのだが、それは一陣の風でもなければ、巌に砕ける波浪でもなかった。生命を奥底より揺さぶる内なる「嵐と怒濤」であったように思えてならないのだ。
 中世の秩序を示す『神曲』と近代の荒々しい幕開けを告げる『ファウスト』と――。この対極に位置する二つの峰を、新たな連峰へと繋ぐ世紀は、必ずや到来するにちがいないと私は信じている。それはもはやヨーロッパ史の延長というよりも、人類史に希望の夜明けを告げる暁鐘でなければならないであろう。

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