Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

人類愛に生きたタゴール  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
5  このタゴールの気高いまでの思想と行動は『ギータンジャリ』という幽遠を思わせる美しい詩となって結晶している。宇宙存在の根本への歌の捧げものという意味をもつ百ページほどのこの詩が、アンドレ・ジードによって仏訳されるや、たちまち世界から注目され、東洋人として初のノーベル文学賞に輝いたのである。
 一挙に世界的な名声の人となったタゴールに、英国政府はナイトの称号を与えて遇した。しかし、三年経った一九一八年の春、パンジャブで無防備の民衆を射撃した英国警備隊の行動に怒り、あっさり称号を突き返してしまった。
 また、大の親日家で、再度にわたって訪日し、数多くの友人ももっていた。高潔な人柄を示すものだが、日中戦争で日本軍が中国に侵略するや、痛烈に非難、日本の友人とも絶交している。
 そして近づきつつある世界大戦の機運を憂えるのあまり、ついに病の床につくようになった。詩人独特の鋭い感受性で、避けられぬ運命を悟っていたのであろう。
 人が人を支配したり、国家が国家を侵略することは、タゴlルにとっては最大の悪であった。最も忌むべき暗雲が、彼の意志とは正反対に、あざ笑うかのごとく広がっていったのだ。いかにすれば、との風波を食い止められるか、心痛は少なくとも彼の寿命を数年は縮めたにちがいない。
 人間、いかなる人生コースを歩んでも、最晩年に悲劇の訪れることほど惨たるものはない。彼の無念、思いをこえるものがあったろう。死を前にしながら、なおかつタゴールは、チェコの友に憤激の詩を送り、カナダの国民にラジオ放送で奮起を促している。詩を書く体力が衰えてからは口述して詩作した。
 彼の生命の容器に満々とたたえられた油は、最後の一滴まで人類愛の炎をきらめかせながら、日本が真珠湾攻撃に踏み出そうとする一九四一年の夏、八十一年の光のごとき生涯を閉じた。
6  かれはその武器をおのが神々とした。
 かれの武器が勝利をうるとき、かれ自身は敗れる。(『タゴール著作集』7所収「迷える小鳥」宮本正清訳、アポロン社)
 タゴール逝つてなお、魂の警句は、強い響きをもってわれわれに迫ってくる。

1
5