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日蓮大聖人・池田大作

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ガンジーの魂と実践  

「私の人物観」(池田大作全集第21巻)

前後
5  もちろん、ガンジーにも欠点なしとしない。機械文明を無視しようとし、政策的にも十全であったとはいえない。なかでも私が彼のために最も惜しむのは、彼の後継者群が、あまりにも少なきにすぎたことである。これは、ガンジー自身の生き方にも関連していることではあるまいか。
 ガンジーの生き方は、まさしく修道僧のそれである。徹底して肉食を断ち、生活は一点の欠陥もなかった。わが妻と交わることも断ったという。その精神力に脱帽しない人はいない。しかし、逆にいえば、ガンジーのその生活信条が、同国の人に、尊敬心とともに、一種の息苦しきを与えはしなかったかと思うのである。
 『三国志』の諸葛孔明は、天才的な戦略家であり、主君に仕えるに赤誠をもってした。しかし、蜀は魏に負けてしまう。それは後継者がいなかったからである。孔明が完壁すぎて、弟子に対してもそれを望んだからであった。
 ある点においてガンジーの完壁主義は、孔明に似ているといえなくもない。意志の強い同朋は、ガンジーと行動をともにした。しかし、大部分の人びとは、彼を心から尊敬はしたが、とてもあのようにはなれないという感情を併せもったにちがいない。
 人間は弱いものである。利己心を捨てきることもできない。その人民と同じ人生路を進みつつ、「半歩前」を歩くことも必要なのではないか。全人類をガンジーとすることができたならば、ガンジーはあらゆる戦いに勝ったはずである。私の信条は、いかに多くの人びとがリーダーに成長するか、私以上に育っかを最も強い念願として、後輩の育成にあたっていくことである。
 しかし、ガンジーの、こうした一種の弱さは、決して彼の人生の価値を低めはしない。生命を類なく尊いものとした信条は、人間を真実に人間というに値するものとしていく基盤であり、その運動は人間としての運動の第一歩であったと、私はこのうえない賛同をもって訴えたい。
 この東洋の地に育った思想の小さな芽は、いつの日か、世界を覆う大樹となって、真実の「人間の世紀」を築くことを信じて疑わないし、これこそ人類の最も尊い宝であると思うのである。
 凶弾に倒れたガンジーの魂は、永遠に人間主義をめざす人びとの胸の中に、生きつづけていくであろう。

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