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日蓮大聖人・池田大作

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主婦よ“開かれた女性”たれ  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

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4  一日に一時間でも二時間でも社会とかかわりをもとう
 先にも述べたとおり、社会活動といっても、一日の大半を使って、一切をなげうってする活動を私は主張しているのではありません。一時間でも二時間でも、社会とかかわっていく行為が最も望ましいことであると思う。早い話、百分の一の人が十時間、忙しく動きまわるよりも、すべての人が十分間だけでも参加すれば、そのほうが効果が大であることは言うまでもないでしょう。
 それはたんに物理的な量の問題だけではありません。さまざまな立場の人が集いよって、語りあい、歩むことが尊いのです。そこからは偏った、あるいは日常生活の感覚から遠く離れた思想は出てこないであろうからです。
 一部の人だけで進める運動は、偏頗な、また急進的な結論に走る恐れがある。ある人たちにとっていいことのようであっても、他の人にとっては困ることであることが少なくありません。それを防ぐには、多くの人が参加し、遅いようではあっても、着実な歩みをつづけることが必要であろうと私は思います。
 一人の人が、週一回、二時間だけ、そうした活動をしたとする。一年間で百時間を超える社会活動をしたことになる。これは日本の社会運動の歴史にもかつてなかったことであると同時に、一人ひとりにとっても、かぎりない充実をもたらすことになることは疑いありません。
 私は、社会運動の肝要は、頂点を高くすることにあるのではなく、裾野を広げることにあると考え、それを訴えつづけているのです。いや、裾野を広げることが、そのまま頂点を高めることに、自然のうちになるであろうことを強く信じているのです。
 私はかつて、まず挨拶をすることから始めようと言ったことがあります。私は今、この年、大いに外を歩き、大いに語る婦人であってほしいと願っています。テレビを見ている時間を少し削るだけで事は足りるのです。婦人解放といい、地位の向上といっても、体制の変革だけに終わってはならない。意識の向上が先決であり、そのための活動として、このような身近なところから始めることだと、私は思っています。
 笑顔を浮かべて儀礼的な挨拶をすることが近所づきあいではないはずです。たんに優しい言葉をかけることが隣人愛なのではない。明るく、積極的に意見交換をしてほしいのです。そうした接触があって、問題意識も生まれてくるし、わが身を振り返ることもできるのではないでしょうか。またそこに、真実の隣人愛に満ちた連帯感が生じるであろうと、私は信じています。
 この一年、社会はますます厳しい情勢となるでしょう。こういうときに最も要求されるのは、自分の住む社会をよくしていこうという市民全体の努力です。政治の不正、教育の歪み、経済の不合理を鋭く見抜き、それらを許さない連帯、そして利己に走り、厚い鉄の扉の中に逃げ込もうとする消極性を打ち破る姿勢こそ、いちばん大切な宝としなければなりません。地域社会にその波を起こしていける力こそ、婦人が担っていると、私はあえて言いたいのです。 ──少々、要望ばかりになってしまったようです。しかし、女性は自己の悲哀を制覇する強さをもつゆえに、世界を制覇する力をも担っていると訴えたかったのです。家庭の太陽である婦人が、社会の太陽となったとき、真実の人間世紀の新年が始まるにちがいない。私の希望は、今、とめどもなく広がっていきます。

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