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日蓮大聖人・池田大作

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夫婦の溝は自分の心の中の亀裂から生じる…  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

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7  生命の充実感のみが幸、不幸の尺度
 最後に、私の恩師戸田城聖先生が昭和十三年にある親戚の方に送られた手紙の一節を紹介させていただきたい。
 それは「人生は不幸なものではない。居る所、住む所、食う物、きる物に関係なく人生を楽しむことが出来る。人生の法則を知るならば、人生は幸福なのだ。何事も感情的であるな。何事も畏れるな。何事も理性的、理智的であれ。そして、大きな純愛を土台とした感情に生きなくてはならぬ」というものである。
 恩師が三十八歳の時、まだ戦前の時代の書簡である。すでに牧口常三郎初代会長とともに信仰の道に入っていた戸田先生は「人生は不幸なものではない」との揺るぎない確信をもたれていた。この不抜の信念は、戦時中、軍部政府に弾圧されて二年間の獄中生活をくぐりぬけた時も、なお変わることはなかったのである。それは、なによりも「人生の法則」を胸中の奥深くに据えていたことによる。この法則とは、言うまでもなく仏法への信仰である。しかし、信仰のいかんにかかわらず、ここには人生のうえでの重要な示唆があると思えてならない。 「居る所、住む所、食う物、きる物に関係なく人生を楽しむことが出来る」──現代の人びとのなかには、衣食住を中心とする物質的な幸福や瞬間的な享楽を追い求めている傾向が強い。しかし、恩師にとっては、それらは外的条件にすぎなかったといってよい。ただ、生命の充実感のみが幸、不幸の尺度であることを、恩師は深い信仰のうえから達観されていたのである。
 私は、人生の極意とは、このあたりにあるのだと信じている。どんな外界の風波にも動揺することなく、人間を愛し、人生を愛し、いかなる苦境にあっても天空に向かって信念の叫びをやめなかった恩師の偉大な「純愛」の生涯は、混迷の世相に生きぬこうとする人びとにとって、根本的な指標になるとさえ、私は思っている。
 今後ともに風波の高まりゆくであろう日本の社会を生きゆく主婦の皆さん方が、勇気をもち、聡明なる英知をフル回転させつつ、盤石な人生、幸せな家庭を築かれることを心から祈りたい。

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