Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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創造的な愛こそ夫婦の絆  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

前後
2  夫婦の危機を救った妻の創造美
 「結婚――いかなる羅針盤もかつて航路を発見したことがない荒海」
 この名言をものしたのは、詩人ハイネである。結婚という名の荒海。押し寄せる風波にまきこまれて、いかに多くの愛する人たちが、離婚という名の遭難にみまわれたことであろうか。“子はかすがい”というが、その強い紐帯さえも、無残にひきさかれてしまうこともまれではないようだ。
 私は今、一通の書簡を想い浮かべている。
 アンドレ・モーロワの名著『愛に生きるとき』(谷長茂訳、二見書房)におさめられた書簡である。この著書には「未知の女性への手紙」という副題がつけられている。モーロワが、若い女性を対象に手紙の形式でつづった書である。
 私がこの書から取り上げようとする一通の手紙は、夫婦愛に関するものであるが、離婚の話ではなく、危うく家庭破壊を乗りきった物語である。
 さて、その話は、結婚して十年目の夫婦におとずれる危機から始まる。
 妻は夫のことを知りつくしていると思っていた。夫は仕事ひとすじの男性で、音楽や文学、女性の服装、化粧などには、まるで無関心だと信じていた。また、そのとおりであった。
 ところが、ある日、夫は妻に「君はなぜ、プリント地の衣装を着ないのかね」「髪をもっと短く切りなさい。そんなポニーテールは流行遅れだよ」といったのである。妻は夫の言葉にあぜんとしながらも、すばやく夫の愛の微妙な変化を察知していた。
 事実、夫の心は、他の女性に傾きかけていたのである。それから数日後、友人宅の夕食会で、妻は、その女性に出会った。
 利発な妻は、その女性を冷静に観察した。きらびやかな服装に身を包んでいた。断髪が流行の色に染められていた。文学や音楽の話が、口をついてとびだしてきた。
 その夜、妻は眠られぬままに、自らを反省した。たしかに、新婚当時の溌剌とした生気を失ってしまったようだ。いつのまにか、身だしなみにも気を使わなくなっていた。
 老けこんだ顔を、いとおしげに鏡にうつしながら、妻は、けなげにも“あの女性のようになろう”と決意したのである。
 身なりをととのえ、化粧にも金をかけた。高価な宝石も身につけた。だが、夫の愛が帰ってくる様子もない。焦りと苦悩のどん底で聡明な妻は、はっと気がついたのである。
 「もたねばならないのは、飾られたその女性の美ではなく、わたし自身の自然の美、内面の美なのだ」
 家庭の主婦らしい、つつましやかな薄化粧のなかに輝く女性美、気品あふれる創造美を取り戻すに及んで、あの女性の存在自体が影のように遠のいていった。
 「こうして、あなたの家庭は救われた」
 と、モーロワは、手紙をしめくくっている。
3  創造的愛が夫婦愛を育てる
 私がこの話を取り上げたのは、たんに身だしなみ等の問題ではない。夫婦愛の根本にかかわる心構えが、化粧や服装のみではなく、家計の切り盛り、夫への心づかい、妻として、女性としての生き方そのものににじみでてくるからである。
 ごく最近の統計によれば、三十代の夫婦に離婚率が最も高いという。また、離婚の原因としては、性格の不一致、経済的問題、異性問題、性の不一致などがあげられている。
 一応、このように分類できるであろうが、現実は、これらの要因が複雑にからみあって破局へと突きすすむにちがいない。
 マンションの返済や物価の高騰が家庭経済を混乱させ、それが引き金となって、隠れていたエゴが爆発する場合もある。三十代になると、夫も社会的に重要なポストにつき、複雑な対人関係のなかで、神経をすりへらしてしまう。オアシスたるべき家庭に帰っても、かつての初々しい妻の姿はない。となれば、つい、夫婦生活にも支障をきたし、異性問題やギャンブルにのめりこんでしまう。
 私は、決定的な危機を向かえる前に、夫婦が自覚しなおして、愛と信頼の絆を強めつつ、これからのプランを、もう一度、練りなおすべきではないかと思う。とくに、女性は、危機の原因をすばやく洞察して、適切な対応策を講じる聡明さをもってほしいものである。
 夫の疲れぐあいを診断できて、さっと話題を選べる妻。家計のやりくりが上手で、家計簿と相談しながら、安くて栄養分に富んだ手づくりの料理をつくれる妻。内面からの、しっとりとした気品と健康美に輝く女性。朗らかで、活発で、それでいて、そっと夫によりそう無邪気な女性。子供たちからは、家庭の太陽のごとく慕われる母。──このような女性から、夫の愛がうすれていくはずもない。どのような障害も、苦難の嵐も、夫婦の絆を強めこそすれ、決して、損なうものとはならないであろう。お互いの信頼に支えられて、迫りくる試練を乗り越えるごとに、夫婦愛は逞しく育っていく。
 月光をあびて、互いに見つめあう感傷の苗木から、人間愛の華麗な花を咲かせつつ、風雪に耐えぬく試練の大樹となり、未来をめざす希望の果実を枝もたわわに実らせていくであろう。
 真実の夫婦愛は、試練のなかから希望の育ちゆく愛であり、また、それゆえに、創造的な愛の色彩を帯びている。それは自己と他者の生命を、不幸から幸福へと転換する力をもっている。 創造的な愛──その愛をはぐくむ人間生命の内奥から、英知と勇気と歓喜の念がわきおこってくる。その英知は、エゴに汚された虚栄の知性ではなく、創造の営みを阻む障害に立ち向かう明朗なる知恵に輝いている。そして、その勇気は、愛する者に尽くす献身の忍耐の源泉となるであろう。
 歓喜は美と一体である。創造的な生命は、歓喜にうちふるえると洞察したのは、ベルクソンである。歓喜の潮流に身をひたす女性の生命に、人は美の極致を見いだすのではなかろうか。創造と歓びの心身において人間美は極まる、と私は言いたいのである。いや、四季変転を織りなす天地の美さえも、豊潤な夫婦愛に生きる女性の創造美の前には、その影をうすれさせるにちがいない。
4  妻こそ人生最大の友人
 毎秋、私にはひそかに楽しみにしている催しがある。私が創立した創価大学の大学祭である。建学してまだ日の浅い大学だが、もう六回の伝統を刻むまでになった。キャンパスを散策しながら、若々しい生命と触れ合うことは、秋の爽快さを一段と引き立たせてくれるのである。
 大学時代というのは、人生の前半にある“学ぶ時代”の最後であり、今後をあれこれ模索しはじめる時期である。それだけに私は、なるべく具体的な指針といったものを、学生諸君に話しかけるようにしている。今回の創大祭では「友」について話した。 昔から、その人の評価は、その人の友人を見ればわかる──といわれる。自らが周囲の人びとにとって「良き友」であると同時に、自身も「良き友人」とともに大学生活を送り、一生を歩んでもらいたい、と話した。
 妻は人生の伴侶であると同時に、良き友人であるべきだ、と私はつねづね思っている。友であれば当然、互いに助け合うべき存在だ。傷つき、悩んでいるときには励ましの言葉を贈り、うれしいときにはともに喜ぶ、夫にとって妻とはそうあらねばならないだろうし、妻にとっての夫もそうである。
 真の友であれば、苦難を決して避けないだろう。常に前向きで人生の坂を、二人して登っていけるはずだ。不幸な夫婦の多くの場合は、妻が夫の愛玩物であったり、夫が妻の養い手であったりする。良き夫婦とは友人の間柄である。そこには妥協などない。互いの成長のために叱咤もすれば、手も取り合う。
 結婚当初の夢見心地から醒めたころ、互いの欠点が見えはじめたときこそ、自分たちは友なのだと思いなおしてもらいたい。そうすれば欠点を補いあい、指摘しあって、いつも前へ前へと進んでいけることだろう。夫にとっての妻、逆に妻にとっての夫は、人生の最大の友人のはずである。
 また同じく学生諸君に話したことだが、私が青春時代から自らの信念としてきたことの一つは、世界の人類のために尽くそうと思うならば、まず自身の悲哀、苦しみを制覇せよ──ということであった。同じことが家庭についてもいえると思う。
 社会への貢献を願うならば、家庭におけるさまざまな悲哀をまず乗り越えなければならない。家庭を明るく斉めえずしてなにができるだろうか。
 仏法の考え方というのは、いかなる事象もすべて自分自身の一念から出発し、帰着するということを教えたものである。つまり人間のもつ可能性を、自身の内に最大限、見いだそうとしたのである。夫の、妻の嫌いな面ばかり目につき、友としての間柄に立てないのも一念の所作であるし、二人三脚の風を浴びて人生道を爽快に歩むかどうかも、結局は己が一念にかかっている。
 ともかく、幸せを満面にたたえた若いカップルを見るたびに、私は互いに良き友人であれ、どんな苦難に遭遇してもまず家庭を明るく建設してほしい──と願わずにおれない。
 私自身のことで恐縮だが、私の公的な立場のゆえ、夫として、また父親として、世間並みのようには、とてもいかなかった。ただ私たち夫婦には、共通の目的に進む友としての思い遣りがあり、心のかよう理解があった。それがなににもまさる宝であったことを、私はしみじみと感謝している。
5  ふと私の脳裏に、あの森の路の向こうで出会った老夫婦の姿が浮かんできた。あの人たちにも、喜びとともに、なお人生の苦悩はあろう。
 しかし、それら苦悩も二人して育てた心の絆という大樹があれば、日々を生き、明日に憩う力となるのである。たとえ平凡でも、一生という長い友情の坂道を懸命に登りつめていく夫婦は、見ていてすがすがしいものである。

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