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日蓮大聖人・池田大作

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子供は母の背に学ぶ  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

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2  生命のかけがえのない邂逅こそ親と子の絆
 本来、母性愛は女性の生得本能の一つといわれる。しかし最近の異常な事件の発生は、たんに“母性喪失”という言葉では片づけられない根深い問題を秘めている。それを端的に言えば、生命に対する感覚のマヒである。
 悠久の過去から生命と生命は互いに環をなしつつ、それが調和した生命体を形成しつつ、この地球が、この宇宙があった。この大宇宙の生命の大海原で、人間生命は憩ってきた。現代の人びとは、改めてこうした敬虔な姿勢を回復する必要があると思われる。
 仏法では、永遠の生命観に立って「六道四生の衆生に男女あり此の男女は皆我等が先生の父母なり、一人ももれば仏になるべからず」と説いている。これは衆生には男女があるが、この男女はすべて私たちの過去の父母であったといえる。したがって一人でも粗末に扱うようなことがあれば、自身の人間完成はない──と説いたものである。他者を慈しみ、互いの生命の環を感じとっていく謙虚な姿勢を、仏法では人間生命への探究からこのように説きあかしている。
 東洋の悠久の歴史の奥に潜む英知は、現代の心の荒廃に驚くほどの説得力をもっていると私は確信している。自らの子を一個の人格として尊重し、生命を慈しんでいけない人は、自らの手で自らの生命の尊厳を侵す行為をなしていることに気づくべきであろう。
 俗に「生みの親より育ての親」というが、深い味わいのある言葉である。子を産むだけが親ではない。子を愛情もって育てつつ、互いに親と子として、今ここにいるという生命のかけがえのない邂逅を感じとっていきたいものである。
 「母の乳は枇杷より温く、柚子より甘し」(『白秋抒情詩抄』岩波書店)とうたったのは、詩人の北原白秋であった。ほんのわずかな外気に当たっても、たちまち高熱を出すような体の弱い子供であった白秋が、青年時代、父の反対を押しきって上京するとき、衣類や布団を用意して、ひそかにその脱出を助けたのは、やさしい母であった。後年の詩人白秋の大成は、この母あってのものであった、といわれている。
 私もまた少年のころから体が弱かった。青春の真昼を前に、肺結核で療養所に行く寸前にまでなったこともある。母の私への気遣いは、なによりも体のことだった。私の恩師戸田城聖先生に師事してから、恩師が最も大変だった時期に、私は家を離れ下宿した。北向きの四畳半の部屋であったが、母が人を寄こしては、洗濯物、食事と、陰で助けてくれたのである。それだけに、私には白秋の想いが同じように感じられるのである。
3  教育は母の膝に始まり、母の言葉が性格を形成する
 一時期、私は戸田先生の経営する出版社で少年雑誌の編集にたずさわった。山本伸一郎のペンネームで、ペスタロッチの伝記を書いたりもした。そのペスタロッチの言葉だが、家庭という学校においては母親にまさる教師はないという。子は母の背に学ぶともいう。母の生きる姿は、知らずしらずのうちに子の姿に投影されてくるものである。それだけに現今の母親に望みたいことは、家庭において、徹底して人間を大切にする心を植えつけてもらいたいということである。
 他人の悪口をいつも口にする母に、心の広い子が育つだろうか。人の欠点を見くだす母に、人の長所を尊ぶ子が育つだろうか。母の日常が、子供の未来の伏線となっているものだ。いつも前向きに、明るく生きる母は、よし平凡であろうとも、子供になによりも「心の財」を与えていくのである。
 「教育は母の膝に始まり、幼年時代に伝え聞くことばがすべて性格を形成する」と述べたのは、イギリスの著名な科学者バローであるが、まさに至言であろう。大人になって、なにげないときに、ふと母と過ごした懐かしき幼日を思い出すことが、よくあるものだ。性格、習慣、知恵の大ワクは、幼少期の母との接触によって形成され、数々の思い出のなかにとどめられているのであろう。
 私の心の奥にも、母の言葉が刻み込まれており、ときにダイヤモンドのような光沢を放つことがある。今なお、無意識の底に、母の言動は生きているようだ。激務にいささか疲労した心身をいやし、明日への決意をわきたたせたり、母の面影は、今も心のどこかに住みついているようだ。
 といっても、記憶に残る母の言葉は、きわめて平凡そのものである。「他人に迷惑をかけてはいけない」「ウソをつくな」……といった誰もが口にするであろう言葉である。それと私が少年期に入ったころから「自分で決意したことは、責任もってやりとげなさい」という言葉が加わった。それ以外に、将来の出世を夢みたり、学歴を望んだりなどは、おそらく考えつきもしない母であった。
 そんな平凡な母の平凡な言葉が心のひだに息づいているのは、誰にとってもそうであるように、その言葉に母のぬくもりがあるからであろうか。
4  クーデンホーフ・カレルギー伯の母
 陰に陽に母の子に与える影響ということで、懐かしく思い出すのは、ヨーロッパ共同体の生みの親といわれた故クーデンホーフ・カレルギー伯のことである。氏とは、来日された折、対談を重ねた。カレルギー伯の母は明治の日本女性であることは、よく知られていよう。
 対談の席で日本の女性についての印象をたずねたところ、カレルギー伯は、しみじみとした口調で、遠い過去を追憶するように、こう語っていた。
 「私は、日本女性は私の母一人しか知りません。若くして未亡人となった母は、一人で私たち七人の兄弟を育ててくれました。母は、生涯、日本の音楽を愛し、また絵の才能もあるといった、芸術を理解する女性でした。子供の教育については、夫である私どもの父の精神をそのまま受け継いでおりました。日本人としてではなく、ヨーロッパ人として育ててくれました」
 こう語りつつ、カレルギー伯は「母がいなかったとしたら、決してパン・ヨーロッパ運動を始めることはなかっただろう」と、言い切っていた。彼女には、事実「EECの祖母」という名称が贈られている。およそ日本女性で、これほど雄大な名称を冠されている人も、まれであろう。連れそうこと十四年にして夫に死別した夫人は、その難局にもめげず七人の遺児を立派に育てあげる。
 夫人は古い型の明治女性にもかかわらず、子供たちを立派なヨーロッパ人に育成するため、自らもヨーロッパ人になりきろうとし、自己欧化の修養に徹する。しかもその底には日本人の誇りを決して傷つけまいとする負けじ魂が貫かれていたという。この母の無言の姿勢が、ヨーロッパ共同体という民族を超えた構想を生み出す豊かな精神の大地となったことは、想像に難くない。
 彼女は「産んだ児から無知を笑われるようでは母の資格がない」と考えて、子供の習う学課をいつもひと月ほど先に習って子を導いた。この並大抵でない努力に、どの子も深く敬服したという。と同時に、そうした努力が夫人を一回りも二回りも大きく成長させる因となったろうし、カレルギー伯の精神空間を無限に広げ、形成していったのも、そうした母なのである。
5  生まれたばかりの赤ん坊が、着のみ着のままで紙袋に入れられて捨てられたり、コイン・ロッカーに放置されたり、たいした理由もなく子供をせっかんして死に至らしめる……。こんな事件が珍しくない現代だけに、私は母という存在がもつ偉大な力を、まず母自身が再認識すべき時を迎えているように思えてならない。
 私自身のことで恐縮だが、そんな切なる願いを込めて、「母」と題する詩を数年前に作って、発表したことがある。その詩に、友が曲をつけてくれ、私ども婦人部の催し等で何度か歌われた。メロディーが素晴らしいからだろうが、詩のなかで婦人たちは次の句に共鳴を覚えるという。
 それは「もしも この世に あなたがいなければ 還るべき大地を失い かれらは永遠に 放浪う」という一節である。世の母には、ぜひともこの気概と自負に立ってもらいたいと望むのは、私一人でないはずだ。
6  ヒューマニズムに根ざした母性愛こそ真の母性愛
 本来、母には善い母と悪い母などといった区別はない。どの母も慈愛の腕をもち、勇気のふところを有していよう。大切なことは母の境涯の広さである。自分の子供に注ぐ愛と同じ眼で、他者の子供を見られる母親が増えたとき、世界はどれほど平和になることか。その意味で、インドで古来から出産の女神とされている鬼子母神の逸話は、示唆に富んでいるように思う。
 日本でも鬼子母神の風習は受け継がれているようだが、もともとこの鬼子母神の性質は凶暴で、人の子供を取っては食うのを常としていた。彼女には五百人の子がいたとされている。
 釈尊は他人の子供を次々と食べる鬼子母神をさとすために一計を案じ、末子の賓伽羅を隠した。彼女は半狂乱になってわが子をさがし、困り果てたすえに釈尊をたずねる。
 「鬼子母神よ、あなたは五百人の子供のうち、たった一人の子供がいなくなっても、そのように嘆き悲しんでいるではないか。そんな親の心を知るあなたが、どうして他人の子供を次々とさらうのか。わずか二人か三人しかいない子供を連れ去られた親の悲しみは、もっと大きいはずだ」──この釈尊の話に鬼子母神は悔い改めるという話である。
 仏法とは、このように人間の生き方を教えるものだが、わが子しか可愛がらない母でも、わが子への愛をひろく普遍させることによって、盲目的な愛から脱皮できるのである。現代には鬼子母神的生命の母親をみかけるが、狭量な愛情は子供にとって決してプラスにはならない。
 わが子の自慢話に興ずる母親は、私の最も嫌いなタイプの母親像である。これを否定したのが鬼子母神の逸話である。
 願わくは、海より深いといわれる母性愛がそうした盲愛のみで終わってほしくない。人間をあまねく平等に愛するヒューマニズムが根っこにある母性愛こそ、真の母性愛といえるのではなかろうか。その広大な慈悲の心があってこそ、子供は親の感化をうけて立派に成長するし、親も子を育てていくなかに自らも成長し、人生の生きる道を獲得することができると思われる。
 ある著名な女子大学の創立者は、女子教育の目標として①人間として②女性として③母性として、立派な人間を育成することを掲げている。
 ここで第一番に「人間として」という目標があげられている点に、私は注目したい。女性や母親である以前に、まず人間として立派に成長することは、人間の一生における生涯の指標であるはずだ。
 もちろん、女性として、母親として生きるのとまったく違ったところに、人間として生きる道があるわけではなく、人生すべてを貫く根底的なものとして「人間として生きる」ということがある。たとえ子供を独立させたり、夫と死別するようなことがあろうと、「人間」としての生き方が確立していれば、不幸に泣くことはあるまい。
 ともあれ、夫のため、子供のため、近隣のために、自分らしく、誠実に精いっぱいの努力をして生きてきた女性の一生は、平凡であっても尊く美しい。自らの育てあげた子供たちが、社会に羽ばたき、社会に貢献する人生を送っているという事実は、母にとって、これにまさる幸福はあるまい。
 私の母はもうこの世にはいない。だが、風雪に身をさらしながら子供を健康に育てあげ、社会に送り出した。この平凡な母の一生は、やはり勝利の人生といえるのではないかと、心ひそかに思っている。

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