Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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生命は限りなく躍動する  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

前後
5  壁を破った大きな喜び
 この反対に、人間を挫折させる幾多の障害に、それこそ絶えまなく直面しながら、それらを見事に乗り越え、人間としての素晴らしい幸せを築きあげた例──これは私が実際に知っている例である──がある。
 それは、小児マヒで左足を完全に侵されながらも、逞しく生きてきた一人の女性の人生体験である。その人はこの大戦中に生まれ、三つの時に小児マヒにかかり、下半身がほとんど動かなくなってしまった。小学校に一年遅れて入学したころ、どうにか歩行が可能となったような状態であった。
 兄弟は六人で、家計は大変苦しく、父親の給料だけでは生計が立たず、母親も内職で手いっぱいだった。運動会や遠足の楽しい思い出も、体のハンディのゆえに、もつことができなかった。ただ小学校の修学旅行だけは、学校の先生が背負って連れていってくれた。
 彼女は、その後、無事高校を卒業すると、自ら職業安定所を通じて保育園の事務員の職をみつけてきた。しかし、その職場も、二カ月ほどで解雇された。理由は、事務の仕事ができても、使いはしりができないということにあった。自らを励ましつつ社会へ挑戦していった彼女にとって、これはどれほど大きな衝撃であったことだろうか。
 しかし彼女は、涙の底から立ち上がり、ふたたび人生に体当たりしていった。次に見つけたある会社で、彼女は五年半を勤めぬいた。この会社を退職したのは、ある貿易会社の課長である現在のご主人との結婚生活に入るためであった。
 彼女のこの半生を追ってみたときに、客観的な諸条件は、彼女の幸福な人生を保証していたとは、とてもいえない。──経済的にも、決して恵まれていたわけではない。特殊な才能をもっていたわけでもない。まして肉体的条件は、一人の人間を悲痛と暗澹の淵へ沈めるに十分なものであった。
 けれども彼女は生きぬいた。彼女には、常に明るさと、生きいきとした生命の躍動があった。「人生に、さまざまな障害があるのは当然である。苦しめば苦しむほど、その壁を破ったあとの喜びは大きい」と彼女は語るが、その言葉のなかに、厳しい条件にもなんらひるむことなく、生きぬいてきた人の、さわやかな汗を私は感ずる。
 その彼女の、精神の躍動の美しさは、彼女を知る多くの人の共感を呼び、さまざまな悩みをもつ人の支えとなった。また五年半勤めた職場を去るにあたっては、そこの誰もが彼女の退職を惜しんだという。
 もちろん、この半生、彼女が歩んだ日々が幸福であったとは、簡単に述べることはできないであろう。計り知れない悲しいこと、辛いこと、苦しいことがあったであろう。しかし、彼女の半生を、敗北のそれであったとみる人は誰もいまい。むしろ、私は、客観的には厳しすぎるほどの条件を、見事に乗り越える力をもっていた彼女は、その苦難あったがゆえに、より尊い自身をつくりあげていったと思うのである。まさしく彼女の言葉のごとく、苦しい壁を打ち破ったあとの大きな喜びを、彼女は、数多く味わってきたにちがいない。その意味からは、私は、彼女のなかに、真の人生の幸せをみるのである。
 こうして“幸せ”というものを、欲望や願いが満たされたときの、刹那的喜びでなく、生きること自体の充実感としてとらえるならば、それは、他人に対し、社会に対して要求すべきことではなく、まず、自己をみつめ、自分を変えることにこそ、鍵があることは明らかであろう。 そして、また、このようにして確立した自分のもっている力──才能や愛情──を、他の人びとの幸せのために、どのように役立てうるかという姿勢こそ大切である。
 自己の幸せを求めるということは、ある意味でいえば、本能的なものである。それを否定するつもりは毛頭ない。ただ、自己の幸せを求めて、常にまわりのものが自分に尽くしてくれることのみを要求する、その行き方が挫折の根源であるということである。
 それは、人間が物質的、肉体的満足だけによって幸せを得られる単純な生物でなく、高度に発達した精神機能を有していることによる。しかも、この精神機能の働きによって味わう幸せは、肉体的・物質的満足による幸せより、はるかに大きい比重を占めている。
 この精神的機能の面に得られる幸せとは、利己の生き方によるより、利他の生き方によって決定され、増幅されるのである。お説教じみたことを言うつもりはないが、そして、単純に“利他”だの“愛”だのといっても、そこにも挫折と行きづまりがあることは、すでに触れたとおりであるが、現代の社会にあって人間が人間らしさを取り戻す第一歩は、やはり、この点の再確認から踏み出さなければならないと、私は信じている。

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