Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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明日を拓く青春  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

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4  ヨーロッパの青年は大人だった
 ヨーロッパの青年は、一見して「大人」を感じさせるものがある。とくにフランスやイギリスの若者にはそれがあったようだ。常に自分なりに考え、なにをするにも、それが自分の人生にとってどういう意義があるかを考えつつ行動しているようだ。しかし、そうした個人主義がヨーロッパ文明の停滞という一般によくいわれる現象と無縁ではなく、全体が力を合わせなければならない場合には、一種のエネルギーに欠ける事態を生みだしているのは事実であろう。
 西欧の青年は「個」を大事にしている。ソ連や中国においては、自分たちが構成している「社会」や「国家」に、どう自分が貢献できるかを考えている。日本には、厳密な意味では、その「個」も「全体」もない感を受けるのである。
 社会とかかわり、自らをどうコンタクトさせていくかという思想的格闘もなければ、内面の世界で、自らの城をどう形成するかの省察もないというのが、悲しいながら日本の多くの人びとの生き方であり、あるのはただ「雰囲気」だけだといえば、あまりに卑下しすぎているだろうか。
 私がレニングラードを訪れた時、偶然、新婚旅行に出かける若いカップルに出会った。通りかかった人たちも気軽に声をかけて祝福しあい、世界のどこにでも見られる、青春のほほえましい一シーンであった。しかし、あとで聞いたところによると、彼らが出かける先には、戦没兵士の墓地が必ず含まれているという。彼らの生活軌道が「革命」の大地の上を走っていることを、その一事がなによりも雄弁に物語っているようであった。
 青春時代は、生涯のなかで最も貴重な時であり、人生を楽しみ、溌剌と生きることは、当然のことかもしれない。しかし同時に、悩み、苦しみと正面から取り組んで、わが人生の行路を真摯に見つめていくべき時期でもあろう。
 自身の内面の世界をどう確立していくか、そしてその自己がどう社会とかかわっていくかという「個」と「全体」の調和が、一人ひとりのなかにあっても重要な課題であり、西欧にあっても、ソ連、中国にあっても、なかんずく日本の青年男女にとって、最も要請されているのではないかというのが、私の実感である。読者の皆さんは、どのように考えられるだろうか。

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