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日蓮大聖人・池田大作

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明日を拓く青春  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

前後
1  中国で見た一枚の絵
 私は青年たちを見た。さまざまな環境に生き、さまざまな考え方をもちながら、それぞれの課題と取り組んでいる青年群像を、強い関心をもって見つめつづけた。昭和四十九年、北米、中南米、中国、ソ連を訪れ、またそのまえにはヨーロッパや東南アジアにも赴いたが、いずれの地でも、私が最も魅かれたのは、そこの青少年の生き方、考え方である。
 私は青年が好きである。後輩としてより、同輩として親しみを覚えるのである。その純粋な正義感、物事の本質を見つめたうえでの向上への意欲、苦難を避けようとしない批判力、不安定な心の振幅──若人のもつ長所に、そして欠点にはなおさらに、たまらない愛着を感じる。
 私の師である戸田二代会長も、また初代会長も生涯青年の気迫と一途さをもっておられた。私もまた、若い人たちとの交わりをとおし、自身の不完全さを見つめつつ、それを克服していくことに青年としての特権があると、自らを励ましつづけているのである。
 青年は民族の力の象徴であると思う。青年に未来への希望と意欲があれば、その民族にはエネルギーが満ちあふれている。反対に、青年がデカダンに陥った国家には、衰微の運命が待ち受けているのみであろう。
 現在の社会機構などの外見が整っているかどうかよりも、青年の姿はその民族の消長を偽りなく示してくれる。その意味でも、私は行く先々で、許された時間のほとんどすべてを費やして青年たちと触れ、対話することに努めた。
 そうした意図で接している私に、最も強い迫力を感じさせたのは中国の青年であった。なんといっても彼らは真面目である。しかも国家、社会の建設作業に心から喜びを見いだしている。「収穫」に最大の充実感があると語った人びとの声は、労働こそ人間の価値ある行動だという誇りに満ちていた。
 私が中国で求め、帰国してから創価学会の女子部の人たちに贈った一枚の絵がある。一人の若い女性が、会議の席上で意見を述べている図であろう。黒っぽい人民服に化粧のない顔、おカッパ頭である。中国のどこででも見られる女性の姿である。しかし健康な、そして幾分ガッシリとした体格は、日々働いている「人民」であることをはっきりと示している。その目は大きく、強い確信と希望をたたえて輝いていた。
 私は美しいと思った。
 「正義によって立て、汝の力二倍せん」とは詩人シルレルの言葉だが、自身の内に確かな宮殿をもつことは、容姿をも変えてしまうのかとも思った。そして私は、その女性と同じ目を、絵によってではなく、現実に生きている目として、中国のあらゆるところで見かけることができたのである。
 私はさまざまな人と会ってきたし、これからも対話をつづけることだろうが、指導者の立場にある人が、真に指導者たりうる人であるかどうかを見分ける一つの物差しを、私なりにもっている。それは「後継者を育てることにどれだけ心を砕いているか」ということである。いかに人望を集め、どれだけ力をもっていても、後輩を自分以上に育てられない人は指導者ではなく独裁者といわれてもしかたがないだろう。そして、これはと思うような人が、後輩の教育をなおざりにしている事実に触れて失望したことも、再三ならずあった。
2  社会主義国にいだいたひとつの興味
 ところが中国において最も心がけられているのはこの「教育」ということであった。苦しい革命を乗りきってきた先輩が、その革命精神を伝える作業をつづけ、それが青年層に建設への意欲として強く脈打っていたことは、予想していたこととはいえ、中国の躍進の真の原因であろうと推測させるに十分であった。
 一枚の絵にみられるあの若い女性の瞳のきらめきがあるかぎり、中国はもっともっと発展をつづけるであろうし、私はソ連の青年のなかにもそれを感じたのである。
 人間は「聖」なるものをもたずにはいられないというが、社会主義国とてなんら変わるところはない。否、信仰心を失い、形骸、形式のみに堕している国と違い、もっと異なった意味だが、より強い信仰心を社会主義国の青年たちはもっているようだ。
 レーニン廟に並ぶ青年の姿も、朝早くから見かけられるし、天安門広場へ向かう少年たちの姿も、その元気な歌声とともに、そこここに見ることができる。ソ連の青年たちはレーニンをはじめとする指導者に強い畏敬をいだき、中国の青少年は、それこそ熱狂的に毛沢東主席を信仰している。その熱い息吹が、そのまま国家建設へのエネルギーとなっているようであった。
 同じ社会主義国の青年でも、中国とソ連ではその傾向が違うのは言うまでもない。もっともソ連ではモスクワとレニングラードを中心とした地域しか私は見聞きしなかったし、同じソ連のなかでも、冬と夏が同居し、東洋と西洋が同舟しているような国だから、一面的といえるかもしれないが、建国へのエネルギーはたしかに人びとの考え方や生き方のなかにしっかり根を下ろしているようだった。
 国家への忠誠は当然として、さらに、自分というものに深い思索の糸を張りめぐらし、自らの世界を織りあげていこうという姿勢が強く感じられた。
 私が社会主義国を訪れるさいに、興味をいだいていたことの一つに「自由」の問題がある。社会主義圏の国というと、どうしても全体主義、自由がないという暗いイメージをわれわれは植えつけられている。それをはたして、当の中国、ソ連の若者たちはどう受け止めているのだろうか、ということであった。
 この問題への解答は、自由というもののイメージの違いではないかというのが私の印象であった。たしかに、日本の青年たちのような奔放な自由さは、両国にはない。しかし、それだからといって、彼らに自由はないということとは少し違うように思う。
3  青春の悩みと“流行”との間
 一般的なイメージは、束縛からの解放であろう。しかし、それは束縛を感じるから不自由を感じ、自由主義を求めるのである。それが束縛ではないならば、不自由ということはありえない。たとえば、学校で勉強をすることは、それがいやな人びとにとっては、耐えられない不自由さを感ずることになろう。しかし、それが喜びである人にとっては、不自由か自由かということは問題にならない。それと同じようなものであるといったら極端すぎるだろうか。
 労働から解放され、社会という柵から逃れるところに自由の意義を見つけだすか、労働に自らの生きる意義を見いだし、社会の改革に取り組むことを不可欠の要件と考えるかの違いでもあろう。
 また不自由とか不満とかは、つまるところ差別という事実から起こってくるものである。その点、一国の指導者も、人民服を着、人民として、同胞と苦しみを分かちあう「平等」が確立されているところにあっては、そういった感情は起こりえないともいえよう。
 だからといって、これらの国々における自由の問題がそのままで全面的に放置されていいということでもない。中国はまだ建国途上にあり、その問題は表面化していないが、ソ連においては、一部の青年の反体制的動きをともなって、早晩、見直されなければならない状況を生みだしているのではないかとも考えられる。
 この問題が、最も表面に表れているのがヨーロッパである。青年の特権の一つは、反体制的志向性であろう。それは現状をこれでよしと安易に認めるのでなく、常に改革への意欲をわきたたせているからにちがいない。「近ごろの若い者」が体制に反抗し、あるときは暴走するのを嘆く大人たちも、かつてはその「若い者」であり、バンカラ姿でのし歩いていたことを忘れている。
 アメリカやヨーロッパでは、反政府、反戦運動に参加している青年、またヒッピー、イッピーに属する青年の姿が見られた。しかしそれが、付和雷同した流行というものではなく、あくまで自己の意志を大事にしているところに日本とは違う特徴を感じたのである。若者たちにとって、それは自由の表徴であり、自らの内省のあらわれなのである。
 モードにもそれは象徴的にみられた。青年たちは思い思いの服装で街を濶歩していた。彼らにとっては、自らに一番合ったもの、という観点が服装を選ぶ基準なのである。トップモードの都パリで、その時の流行のスタイルとは違った若者の服装が多く見られたのは、皮肉ではあったが、なるほどとうなずける現象であった。
 日本の青年にも、反体制志向性はあろう。しかし問題なのは、それがムード的な「流行」となっているということである。ヒッピー的生き方は、日本の青年男女の間で「流行」となって広がり、長髪が「ブーム」となって定着したことに問題がある。流行に最も敏感なのは日本の青年男女であるといっても過言ではないほどだというのが、私の偽らない実感である。
 さまざまに懊悩し、それぞれに道を開拓しながら歩んでいる欧米の若者と「右へならえ」が好きな日本の青年たちとの違いは、はからずもテレビで見かけることができた。それは、あるコーラス・グループなのだが、さまざまな服装、動作で、思い思いに歌っているようで、それが見事なハーモニーとリズム感を出していた。日本のそれが、ユニホーム姿で、同じ動作を「振り付けられて」歌うのと、象徴的な違いであった。
 私は学生と対話することも多い。学生運動に参加したことのある青年たちとも話し合った。そして驚いたのは、それは皆がやっているから、という理由である人びとが、少なからずあったということであった。同じ言葉遣い、同じ反応、そして同じ挫折がみられるのは、そこに一因があるような気がしてならなかったのである。
4  ヨーロッパの青年は大人だった
 ヨーロッパの青年は、一見して「大人」を感じさせるものがある。とくにフランスやイギリスの若者にはそれがあったようだ。常に自分なりに考え、なにをするにも、それが自分の人生にとってどういう意義があるかを考えつつ行動しているようだ。しかし、そうした個人主義がヨーロッパ文明の停滞という一般によくいわれる現象と無縁ではなく、全体が力を合わせなければならない場合には、一種のエネルギーに欠ける事態を生みだしているのは事実であろう。
 西欧の青年は「個」を大事にしている。ソ連や中国においては、自分たちが構成している「社会」や「国家」に、どう自分が貢献できるかを考えている。日本には、厳密な意味では、その「個」も「全体」もない感を受けるのである。
 社会とかかわり、自らをどうコンタクトさせていくかという思想的格闘もなければ、内面の世界で、自らの城をどう形成するかの省察もないというのが、悲しいながら日本の多くの人びとの生き方であり、あるのはただ「雰囲気」だけだといえば、あまりに卑下しすぎているだろうか。
 私がレニングラードを訪れた時、偶然、新婚旅行に出かける若いカップルに出会った。通りかかった人たちも気軽に声をかけて祝福しあい、世界のどこにでも見られる、青春のほほえましい一シーンであった。しかし、あとで聞いたところによると、彼らが出かける先には、戦没兵士の墓地が必ず含まれているという。彼らの生活軌道が「革命」の大地の上を走っていることを、その一事がなによりも雄弁に物語っているようであった。
 青春時代は、生涯のなかで最も貴重な時であり、人生を楽しみ、溌剌と生きることは、当然のことかもしれない。しかし同時に、悩み、苦しみと正面から取り組んで、わが人生の行路を真摯に見つめていくべき時期でもあろう。
 自身の内面の世界をどう確立していくか、そしてその自己がどう社会とかかわっていくかという「個」と「全体」の調和が、一人ひとりのなかにあっても重要な課題であり、西欧にあっても、ソ連、中国にあっても、なかんずく日本の青年男女にとって、最も要請されているのではないかというのが、私の実感である。読者の皆さんは、どのように考えられるだろうか。

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