Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ソ連の子供たちに未来の光を見て  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

前後
4  日ソの子供たちの友情を祈る
 私は、アルバムに記帳を求められ、次のように記した。「二十一世紀の未来の天使の伸びのびとした成長を祈りながら、また日ソの子供たちが、やがて真実の兄弟となることを信じて、この宮殿の発展を心からお祈りします」。これは、私の正直な心であり、願望であった。
 私も、日本の小・中学生から託された絵画約八十点、ならびに鼓笛隊の少女からソ連の子供に届けるように頼まれた「銭太鼓」を贈った。皆、大いに喜んでくれた。そして、言うのであった。
 「ようこそ、ピオネールへ。必ず、日本のお友だちをここに連れてきてください」と。小さな友情は、いずれ、この両国の子らの成長と比例して、大きな大きな友情となって育っていくことであろう。
 「ピオネール」という言葉は英語の「パイオニア(開拓者)」という語に当たり、コムソモール(青年共産同盟)の手で一九二二年に創設された。その指導も、コムソモールの運営委員会によって行われている。ピオネールに入団できるのは広く選ばれた小・中学生で、幼い時代より共産主義的な人間になるように訓練される。身体を鍛えるとともに、政治教育も行われているようだった。共産主義者として団結し、指導しあっていくための教育である。
 ガイダルス記念ピオネール宮殿には、児童五千五百人、先生二百二十六人がいる、ということであった。また、無料で、優秀な作曲家、文学者、スポーツ・コーチらが子供たちの教育にあたっている。その数は、およそ百人にも及ぶ。これらの専門家の親切なかつ卓越した訓育を経て、少年や少女たちは育つ。無料で子供たちを教える人たちの表情がまぶしく映ったものである。
 ピオネール宮殿は、国家の付属機関になっているので、一切の費用は国家予算でまかなわれる。また一九一七年の革命以前のツァーの時代には、五人のうち四人まで文盲で、ロシアは「文盲の国」ともいわれていた。しかし、教育へ力を注いだ結果、今では七歳以上のソ連市民三人のうち一人が学んでいるようになったという。青少年の教育にソ連がきわめて大きな労力をさいていることが窺われた。
 実際、各国とも「武力の競争」ではなく「教育の競争」でも行えば、どんなにか、社会もより良くなるであろうか。前者は破壊と暴力により惨劇をもたらすが、後者は建設と創造により豊かな社会と幸福を呼び寄せる。どこの国でも、子供は大切にされるようではあるが、少なくとも福祉面においては日本よりはソ連のほうがずっと大切にされているように思われる。私はつねづね「文化」とは、武力、権力を用いず、民衆を導く運動と考えている。その意味で教育は文化の中枢を占めなければならない。
 サークル活動のなかで印象に残ったものの一つに体操があった。ちょうど十歳の女の子が、丸い輪のような体操器具を使って練習していたが、まさに見事というほかなかった。世界の女子体操のトップレベルは、今やハイティーン、ならびにローティーンの時代に移ったともいわれているが、このような少女時代から、恵まれた環境で練習をしていれば上達も早いのであろう。オリンピックなどで、ソ連の女子体操チームが小さな妖精たちを輩出し、金メダルをたくさん獲得するのも道理である。
 私は子供たちと語り、一緒に行動することが好きだ。いろんなゲームもあり、ホッケーが盛んなこの国らしく、おもちゃのホッケー・ゲームもあった。子供たちを相手についつい熱を入れ、案内してくださったB・D・モゲルマン所長から「もう時間ですから……」と督促される始末であったが、楽しかった。
 モスクワの街が暮れなずむころ、私たちは、ピオネール宮殿に別れを告げることになった。多くの子供たちが、建物の外まで出てきて送ってくれるのである。
 「ダスビダーニャ!(さようなら!)」という澄んだ声を耳にしながら、私は車中の人となった。遠ざかる車にいつまでも手を振りつづけてくれる小さなモスクワの友人たちを、私は生涯忘れることはないであろう。
 ピオネール宮殿には、学校、家庭、社会の三つを併せもったような雰囲気があった。こうした宮殿やピオネールの家は各地区、各町にある。私にはこうした施設を日常的に誰もが使える環境がうらやましかった。教育には、どんなに費用をかけてもかけすぎることはない。残念ながら日本は大人たちが現在を楽しむことに夢中で、子供たちの未来を楽しむ社会全体の雰囲気が、やや欠けているように思われてならなかった。同時に小さな偉大な可能性の光が、全人類的に結ばれる時、やがて迎える二十一世紀は、生命の光の露に満ちた世紀となるであろうとの感慨にふけっていたのである。

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