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日蓮大聖人・池田大作

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女性こそやさしい平和の闘士  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

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2  怖くてやさしいお母さん!
 ロシア料理を語り、「教育」について触れるとき、ロシア料理の「味」を継承してきたのは家庭の主婦であり、現代ソ連の「教育」の大半を支えているのが女性である事実に思いをいたすならば、最後にどうしてもソ連の女性像について述べておかなければなるまい。
 周知のようにソ連の労働者の約半数は女性で占められている。しかし、なぜ女性が男性と同等に働くようになったかという理由を追求していくと、そこには「戦争」という人間の業にも似た忌まわしい悲劇が横たわっている。
 第二次世界大戦でソ連が失った同胞は約二千万人といわれる。そのほとんどが働き盛りの青壮年であろう。新しい社会主義社会建設途上にあるソ連にとっては大きな痛手であった。戦争中、ソ連の女性は、戦場に送り出した夫、兄弟などの肉親のあとをついで働いた。ところが、戦い終わったあとも、戦死した肉親をもつ妻や母は引きつづき、涙をかみしめて働かなければならなかった。
 ちょうど、日本のあの戦争未亡人たちの悲劇が、同じころ、ソ連でも、より大規模に進行していたのである。戦争の最大の被害者、それはいずこの国にあっても、女性であり、いたいけな子供たちであることに変わりはない。
 その意味で、ソ連対外友好文化交流団体連合会(ソ連対文連)のN・V・ポポワ議長の経験に根ざした、女性独特の発言は注目すべき鋭さがあった。
 「古来、詩人も歌っているように、最も平和を願い、守りぬくものは女性です。したがって国家間、人間同士が危険な緊張関係にある時、女性は孫、曾孫たちが永久に戦争の犠牲にならないように願うべきです」と。また「ファシズムを絶滅しないかぎり、その国の文化は滅びる」という主張も、正しいと思う。さらにファシズムは人類の敵である。してみれば、それは一国の問題ではない。ファシズムの魔手は、人類文化さえ破壊に導くのである。
 さながら「平和の闘士」といった感じを受けるこのポポワ女史は、一九五三年レーニン平和賞に輝いており、六十代半ばにしてソ連対文連議長のほか、共産党中央委員、ソ連最高会議議員、同外交委員会委員の重責にあり、ソ連婦人を代表する典型的な一人である。
 半面、ポポワ女史には家庭婦人の優しさのあることも、よく理解できた。それというのも、彼女が一行のなかの私の妻ともう一人の婦人に「今度来られた時は、私の家と、家庭、孫をぜひ見に来てほしい」と誘っていたからである。その話しぶりには、ほのぼのとした世界共通の、あの母親の慈愛が込められているな、と私は直感した。「怖くてやさしいお母さん!」モスクワを離れる日が近づいた時、私は女史に対して、こう親愛の情を込めて呼びかけた。平和を守り、子供たちのためなら、一歩もひかない強靱な精神の意志は、“畏敬”を感じさせることさえあろう。ポポワ女史のもとには、ソ連対文連の友好運動参加者として約五千万人が活動しており、これはソ連人口の五分の一に匹敵する。
 その「やさしさ」とは、二千万の同胞を戦争で亡くした悲しみを乗り越え、「孫、曾孫の幸せ」の建設に残りの人生をかける“ロシアの母”の海をも容れる広大な生命空間を、私はさしたつもりである。
 女性の深い慈しみと愛は、自らの子や孫を慈しむように、人類の未来へ向けられなければならない。
 元初から女性は、平和を本能的に求めていた。戦場に送るわが子を見て涙する母を、不毛の対立に苦悩する母を、二度と出してはなるまい。
 ロシアの広漠とした大地は、戦火のはざまで何万、何十万人もの母の熱き涙をしみこませながら、平和の時の到来を、静かに、地の底深く呼吸させながら、待っているようだった。

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