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日蓮大聖人・池田大作

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幼児教育への私の提言  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

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2  記憶に残る母の言葉
 「教育は母の膝に始まり、幼年時代に伝え聞くことばがすべて性格を形成する」。これは、イギリスの著名な科学者、バローの言葉であるが、まさに、名言というべきである。この時、幼少の日々を懐古する碩学の脳裏には、母と過ごした懐かしい情景が去来していたのかもしれない。
 まことに、幼き者の生命には、かぎりない“宝”が秘められている。天賦の珠玉を探りだし、磨きあげていくのは、家族や隣人の言葉であり、行動であろう。とりわけ、母親の言動や、心理の微妙なあやが、幼児の生命に驚くほど鮮明な影を落としていくものである。母と子の心の触れあいを通じて、子供たちは耐えることを学びとり、正義への勇気を培い、善と悪の判断力を強化しながら、少年期へと入っていくからである。
 バローが、いみじくも洞察したように、少年少女の性格、習慣、知恵の大部分は、幼少期の母との接触によって形成されるといっても過言ではない。
 私の生命の奥にも、母の言葉が刻み込まれ、ときにはダイヤモンドのような光沢を放つことがある。今なお、無意識の底からは、慈愛のあふれた“内なる声”が響いてくる。激務に疲労した心身をいやしてくれるのも、正義への決意をうながすのも、善悪の判断を導く原点になるのも、私の心に住みついた母の面影にほかならない。
 といっても、記憶に残る母の言葉は、きわめて平凡であった。「他人に迷惑をかけてはいけません」「うそをついてはいけません」であった。少年期に入ると「自分で決意したことは、責任をもってやりとげることです」という言葉が加わった。それ以外に、将来の出世を夢みたり、学歴を望んだりなどは、おそらく考えつきもしない母であった。
 私は最近、しつけに関する心理学の著作をひもといたり、私自身の体験に照らして、次のような結論に傾いてきた。できるだけ子供のすることはおおらかに見守り、自由に伸びのびと育てるべきだが、悪いくせがつくもの、人の迷惑になるもの、健康に悪いものだけは、厳しくしつける必要がある、ということである。しかも、そのしつけ方は、常に一貫して変わらず、反復することがポイントであるとの主張である。
3  自立心を養う厳格なしつけ
 ところで、このしつけの仕方については、日本と欧米諸国ではだいぶ違うようだ。
 欧米においては、しつけの根本となっているのは、まず自立心を養うということである。子供が遊ぶときは、自由に遊ばせるが、必ず時間を決めて、厳格に守らせる。遊びに使ったオモチャ類も、子供に後片付けをさせる。それが、いかに非能率的であろうとも親はじっと見守っている。
 また、ベッドの後始末なども、子供に自分で整頓させる。つまり、自分のことは自分で責任をもって遂行していくという習慣を子供の生命に植えつけていくのである。
 さらに親と子の関係についていえば、子供たちを、大人の会話には、決して加わらせないということも遵守されているとのことである。
 たとえば、家にお客さんがきて、父母が応対しているときには、子供たちに、その場に入ることを許さない。そのかわり家族のつどう団欒の食事のときなどには、和気あいあいと親と子の心が一つに融けあって楽しい一刻を過ごす。このようなしつけによって、親と子は一定の距離を保ちながら、しかも深い信頼の絆で結ばれていくようになるというわけである。
 今、欧米の幼児教育の一断面を記してみたが、わが国のそれとは相当違う点もあるようだ。
 日本と欧米との幼児教育を比較していわれることだが、欧米では幼い時は厳しくしつけ、成長するにしたがって本人の意志を尊重していくように配慮するようである。ところが、わが国ではまったく反対で、幼い時には甘やかすだけ甘やかし、少年期、青年期という反抗期を迎えるころに、厳しく叱る傾向がある。
 一般に「泣く子と地頭には勝てぬ」という諺があるが、古の昔から、幼児に対する過保護な姿勢が、世の親たちにあったようだ。親は、子供が泣きだすと、子供の言うことや、おねだりをやむなく聞いてしまう。それが日本の伝統的な親の、子に対するかかわり方であったと思う。 しかし、そういう教育の姿勢が、はたして子供たちにとってよいものかどうか──世の親たちは賢明に思慮をめぐらすべきであろう。
 幼児期というと、年齢的には、だいたい三歳から五歳ぐらいだろう。子供は二歳、三歳までは情念の世界に生きているが、その年齢を過ぎると自律性を増し、自我の形成が始まる。自分で考え、自主的に行動しようと意欲を燃やしはじめる。こうした心理学的な観点からいっても、自我の形成が開始される幼児期をはずさないで、厳しくしつける欧米の幼児教育には学ぶべきものがある。
4  子供が自由に呼吸できる広場を
 私は、幼児教育について考えるとき、しばしばエジソンの幼児期を思い浮かべる。生涯に千九十九もの発明をしたエジソンは、私の幼いころの一時期、憧憬の的であった。この不世出の科学者には、幼児期のエピソードにこんな話がある。
 彼は生まれつき、なににでも好奇心をもつ子供だった。ある時、生半可な知識をたよりに「人間風船」を飛ばそうと思いつき、一人の友人を実験台に選んだ。ビーカーに入れた酒石酸、ジュウソウなどの混合液を友人に飲ませ、体内にガスが充満すれば、人間も飛べるのではないかと思ったのだろうか。幼児のことだから、そのあたりは定かではないが、もちろん飛ぶはずもない。そればかりか、泡だつ液を飲まされた友人は気分を悪くし、大騒ぎになった。このとき、日ごろやさしい父母は、人間をモルモットにしたことに対して烈火のごとく、エジソンを叱ったという。この時の父母の厳誡にめざめて、幼いながらも人間に役立つ発明をしようと決心したと、彼は述懐している。
 母は、エジソンに十分反省の色を見てとったあと、正しい理科の教科書を買って与えた。 ──このエジソンの逸話でわかることは、叱るときは原則を明確にして叱れ、ということである。と同時に、ただ叱るだけでなく、母はエジソンの才能を鋭く発見し、その天賦の才を伸ばすことに温かい手を差しのべていることだろう。この母とエジソンの愛に結ばれた親子の絆は、エジソンが小学校を劣等生扱いされて、わずか三カ月で退学処分になったときからさらに太く深くなっていく。母は退学になった少年に、ローマ史、イギリス史等を教え、一年後には、近所の人から天才といわれるまでに育てあげた。この母の深く豊かな愛にはぐくまれてエジソンの発明の才が磨きぬかれていった。
 よく、しつけというとピアノを習わせたり、琴をひかせたりすることのように思っているお母さんも多いようだが、これはしつけではなくて芸事を身につけさせる、つまり特技の分野に入るであろう。また、しつけという言葉にのみとらわれて、子供の溌剌たる精神の自由まで踏みにじっている例も見受けられる。これなども、しつけの本義を理解しないところから起こる錯覚というべきである。子供の将来を思うよりは、親の一方的なエゴの押しつけになっている場合も多く、幼い子の精神を、かえっていびつなものにしてしまう結果になりがちである。
 いずれにせよ、両親の慈愛には一点のエゴも許されない。大人たち自身のための代償を期待する心さえも、慈愛の光を奪ってしまうからだ。自分の子供が、どのようなものに興味をいだくかを注意深く見守り、そっと手を差しのべる賢明さを、大人たちはもちたいものである。
 自由な伸びのびとした空気を呼吸できるような生活の場を、絶えず配慮する父であり、母でありたいと思う。少年の胸に秘められた可能性に全幅の信頼を寄せ、彼らの夢をはぐくむためには、親として何ができるのかを考えつづける賢明さを保っていきたいものである。
 現代に生を享受する者として、未来の使者への贈り物は、この子たちに未来の生を開拓し創造するための勇気と自信と人間原点の善悪の判断力などを与えることであろう。しつけも、遊びも、読書も、子供たちの将来にふりかかる苦難の嵐を乗り越えるための根源的な力を培うものに他ならない。
 すべての両親の努力が、子供たちの“内なる宝”の開発をめざし、創造への新鮮な生命の泉をわきいだす結実をもたらすように方向づけられるべきではないだろうか。 苦難の生を切り開く能力の開花──そこに教育の焦点が合わされるならば、その行為は期せずして、本当の慈愛の色彩を帯びていくであろう。しかし、親は子供の鏡であるといわれるように、母親自身の生き方がエゴに汚れていたのでは、かえって幼い心に不信と猜疑の心を植えつけてしまう。子供は母の行動を見守っているものである。正義を愛し、すべての人びとに信頼と誠を投げかける母親の生き方のみが、健やかな創造力にあふれた生命を培う源流となりうるであろう。
 あえて言えば、愛情あふれるしつけ、援助のみが、母と子と、父と子の、血を分けた二つの生命をつなぐ信頼の糸を太くし、相互の深い愛の昇華を可能にする。 慈愛の血潮──その暖流にうるおされて、少年の生命が開花し、しつけの果実が陽光に映え、未知なる天空をさして伸びていく。
 子供たちの瞳が希望に満ちて、輝きつづける世界を誠意と愛のかぎりを尽くして拡大することこそ、教育の究極の使命であり、理想であると、私は考える。

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