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日蓮大聖人・池田大作

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「開かれた家庭」への一歩は対話から  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

前後
1  「束縛からの解放」とは
 新年といい、年の始めといい、今日と明日とになにも格別のこともないはずなのに、私たちは改まった新鮮な気持ちで迎えるのは、面白いことに思われる。
 悠久な時の流れに区切りがあるはずもなく、なんの変哲もないはずである。しかし人間の心は、新年を迎えると自然にはずんでくる。三百六十五日という太陽暦の運行がひと回りしたとき、人は惰性に流された自分を反省し、これではならぬという偽らざる感慨に責められるのであろう。これではならぬ、今年こそと、年の始めに心を引き締め、また一年、瑞々しい命で過ごそうと自らに言いきかせることが、新鮮な日々を創造する発条になるのではなかろうか。私は昭和五十一年を「健康・青春の年」にしようと会員の人たちに呼びかけた。暗い話題の多い社会にあって、まず一人ひとりが健康美に満ちあふれ、青春の気概をもつことが蘇生への一歩になると信じているからである。その輪が広がり、この一年が上昇への転回を示す年となることを願わずにいられない。
 ところで昭和五十年は「国際婦人年」であった。女性の地位向上をめざして世界的な結束がもたらされ、有意義だったという人もいれば、具体的な前進はみられず、一人ひとりの環境とは無縁なものだったと断定する人もいて、評価はまちまちである。私は国際婦人年の意義は、むしろ今年からにあるように思う。差別撤廃、意識向上ということは、恒常的なテーマだからである。具体的な活動の盛り上がりが昨年だけに終わったとすれば、国際婦人年も有名無実だったと言われてもしかたがないのではないだろうか。
 国際婦人年に因んで女性解放をテーマにした集会、討議が数多く行われてきた。それぞれの意義は高く評価するが、そのなかで気になったことが一つある。それは、職場での地位や賃金の差別、保育所の問題や出産、育児にともなう休暇等、論議されているテーマの多くが働く女性の問題であるということである。家庭で育児や子弟の教育、家事に従事している主婦にとっては──そうした婦人が依然、多数を占めていると信じているが──あまり切実な課題にはならない。
 女性の社会的な地位の差別を撤廃することは大切であるし、真っ先にやらねばならないことは当然だが、それだけで女性解放が終わったとするのは早計であろう。家庭にいる主婦の人たちから「では、私たちはどうすればいいのですか」と問われたとき、明快に答えうるものが用意されていなければならないはずだ。環境の束縛からの解放と同様に、いやそれ以上に大切なものは、内面的な意味の解放であろうと思うのである。
2  まず「語る」ことから始めよう
 主婦はどう生きるべきか──。なにもそう大時代なことを、と言う方もおられるかもしれないが、女性の地位向上をめざすという点から考えると、これほど身に差し迫った問題はないといってもよいだろう。結婚し、家庭に入って子供をもうけた主婦に、社会へ働きかけよと叫んでも、おいそれとそういう機会には恵まれない。もう一度仕事を、と思っても、社会がうけつけてくれない。というより主婦の仕事は重労働そのもので、就職する余裕もないといってよいほどである。地域の社会運動に参加すればいい──のはわかっていても、隣人とそれほどのつながりもないし、勇気も出ない、だいいち億劫だ、というところに落ち着いてしまう。家庭に入るのは非常に容易でも、そこが一種の安住の地であるだけに、出ることは困難になってしまうのであろう。
 しかし、いつの時代でも革新の作業にはエネルギーが必要である。座して時を待つのでなく、時を創造し、時代を形成していく積極さが望まれる。家庭を篭城の場とするのでなく、社会に開かれた広場としていくには、主婦の意識革命がなければならないし、それがあって初めて女性解放を真実ならしめることができるだろうからである。
 では、何から「始める」べきか。可能で、しかも効用がある方法として、まず「語る」ことから始めてはどうかと申し上げたい。これは簡単で、しかも、きわめて大切なことだと、私は思っている。
 いったい、日本人ほど「語る」ことを大事にしない無口な民族はいないのではないか、と私には感じられる。会社で黙々と仕事をし、往復の通勤では知人や同僚にでも会わないかぎり話すこともない。家に帰っても、新聞に目を通すかテレビに見入ってしまう。子供たちもテレビの前に釘付けになったままで、家族同士の対話の時間がない。親子の断絶や家庭不和の亀裂も、さまざまな社会状況も要素としてあるだろうが、なによりも対話の不足という、じつに基本的な一点にあるのではないだろうか。私は開かれた家庭への一歩として、この点を打ち破るべきだと思う。
 「テレビばっかり見ていると、今にシッポがはえてくる」とテレビ文化を皮肉ったCMがあったが、家族といっても名ばかりで、皆一様にテレビの画面に見入っているところからは、開かれた家庭の創造はありえない。お互いにまず語りあうことから始めてほしい。学校の話題から、教育問題は語られるのだ。買い物の話から経済の仕組みに論及することもあるだろう。専門的知識はなくとも、なんらかの思索の糸口になることは確かである。
3  お互いに高め合う対話を
 考えてみれば、人間の意思伝達方式は言葉である。遠隔感応(テレパシー)をもっているわけでもなく、身ぶり手ぶりや「口ほどにものを言う目」も、伝達の補助手段ではあっても、十分に意を尽くすことはできないであろう。文字が現れたのは、たかだか数千年前のことで、人間という種族は、元来、言葉で意思を通じるようにできているのである。
 欧米では対話を重んじる。それを象徴しているものの一つに、食事の時間がある。夜の正餐には二時間ほどかけ、その間にさまざまな話題が飛びかっている。十分か十五分でそそくさと食事をすませる日本人とは大違いで、その食事の時間が、重要な知識吸収、社交のひとときとなっているわけである。
 私たちは、いろいろなものごとを知るのにどういう手段を媒介としているだろうか。新聞、雑誌、書籍などの活字をとおして得たり、テレビやラジオを通じて吸収する。それらの特徴は一方通行であるということである。わかってもわからなくても、知識はよどみなく与えられる。疑問点をただすこともできないし、反対意見を述べることもできない。しかし他の知識吸収の方法がある。それは対話による方法である。それには意思の疎通があり、必要とあらばわからない点を問いただし、反対意見を述べることもできる。それはもはやたんなる知識の授受ではない。討論といってもよいだろう。知識を与える側──もはや、与える、与えられるという関係はないといってもよいのだが──にも、欠陥を突かれたり、啓発されるものがあるはずだ。対話のなかには「止揚」があるわけなのだ。 私はこの「止揚」ということが大切だと思う。お互いに高め合う──そこには研鑚があり、意識の向上がある。家族のそうした対話が、自然な形で子供たちへの教育にもなっている。家庭教育といっても、なにも格式ばったものである必要はないはずだ。
 その対話の波が、隣近所に広がっていくならば、これほど大きな住民運動はないし、女性解放の意義も、真実の意味であらわれるのではないだろうか。もっとも、それがたんなる「おしゃべり」で終わり、噂話に終始したのでは、なんにもならないが……。一般に、近隣との対話の機会に恵まれているという婦人の特質を考えたとき、社会全体に、人生を語り、社会情勢をみつめ、また生命、宇宙にまで言及する一大対話運動を進める役は、婦人がうってつけであるように思えるし、そうなれば、女性解放どころか、女性がイニシアチブをとることだってできるのではないかと思う。
4  人生の真理は身近なところに……
 さて話は変わるが、仏教発祥の地であるインドの人たちといえば、きわめて内省的な人びとのように思われがちだが、決してそうではない。インドへ行かれた東大の中根千枝教授も、彼らが話し好きだったと驚かれていたし、そもそもこの地で生まれた仏教の経典は、仏と衆生との対話を集大成したものである。仏教といっても、学校教育のカリキュラムのようなものではなく、病気に悩み、死に脅え、貧しさに苦しんでいる人びとと対話し、共に行動する釈尊の言動が結晶されていったものにほかならない。
 それを伝えるエピソードとして、有名な「毒矢の譬」というのがある。当時、思想家の間で「宇宙は有限か無限か」「霊魂の実体は何か」といった論議がもてはやされていたが、釈尊はそうした論議に加わらず、ひたすら人生の苦と対決していた。それを不満に思った弟子が釈尊に問いただすと「ある人が毒矢に射られたとする。急ぎ医者を迎えたが『まず射たのは誰か』『どんな弓で射たのか』『矢の形はどうか』等と問い、それまで治療をしてはならないと医者に言ったらどうなるか。それを知りえないうちに死んでしまう。まず矢を抜くことが大切なのだ。と同じように、抽象的で無用な論議にふけったとて人生の解決にはならない。その苦しみがどこから起こったものであり、どうすれば解決することができるかを知ることこそ、最も重要なことなのだ」と説いてきかせた、という。
 この話は仏教のきわめて人間的な面を浮き彫りにしていると思う。身近なところに人生の真実はあるのであって、机上の空虚な議論にあるのではないという叫びが聞こえてくるようだ。
 仏教には色心不二という法理がある。「色」というのは赤とか黄といった色をいうのではなく「形あるもの」という意味であり、「心」はその奥にある精神の世界である。肉体、物質と精神の世界は微妙に関連しあっていることを説いた法理である。色法が心法に影響を与える場合もあれば、心法が色法に影響を及ぼす場合もある。精神の豊かさ、聡明さが周囲をいつのまにか大きく転換していくことも教えている。対話という人間的な行動が、家庭を明るく温かくしていくことにもつながり、ひいては社会にも波及していくとするならば、どれほど素晴らしいことか。しかも、私はこのことを非常に強く確信しているのである。
5  優しさと賢明さのある主婦に
 仏教経典のなかに、パターチャーラーという女性の姿が説かれている。彼女は両親の反対を振り切って好きな男性と結婚し、子供をもうける。二人目を身ごもったとき、夫を説得して、両親のもとへ一家で帰ろうとする。ところが途中で嵐に遭い、夫は毒蛇にかまれて死に、子供はハゲタカにさらわれてやっと助かったと思ったら、結局、川にのまれて死んでしまう。一人で実家へたどりついた彼女は、そこで両親と兄まで死んだことを知り、気が狂ったようになる。しかし、仏から、死が人生において避けられぬものだと教えられ、それによって悲しむだけではなく、それをどう乗り越えるかが大切だと教えられる。
 仏法に目覚めたパターチャーラーは、以後、徹底して、人生の問題、生命の問題について人びとと語っていく。とくに、女性の特質として、激情に翻弄されて自己を失いがちな点を自らの体験をとおして語り、小さな自我を克服して、より大きな自己に生きることを教えて、チャンダーやウッタマーといった女性が次々と帰依していくさまが伝えられている。パターチャーラーの貢献は、やがて比丘尼教団を形成するまでにいたる。自らの悲しみを乗り越えて悩める人びとのリーダーにまで変貌していく姿に、私は尊さを感ぜざるをえない。平凡な人間であっても、意識の変革を遂げた人からは、偉大な力が湧き起こるものだと教えているようだ。
 家庭の主婦が、いつもグチばかり並べていて、じめじめした暗い表情でいたらどうだろうか。勤務を終えて帰宅した夫も、ゲンナリしてしまうにちがいない。子供たちもますますテレビに目が向いてしまうのではないだろうか。
 なんといっても優しさと賢明さのあふれている主婦の姿に、私はひかれる。豊富な話題のなかに、人生へのひたむきな姿勢がにじみでているならば、子供たちも、自然と畏敬の念をいだき、団欒のなかにも、充実した家庭教育が展開されるにちがいない。いつもインスタント食品の食事ではなく──もちろん、火星人かどこかの奥さんのことだ──心を込めたディナーを用意し、ひととき家庭座談会を開催してはどうだろうか。
 主婦という字が示すとおり、一家を明るくするも暗くするも、主たる自分にあるのだと自覚をもってほしい。暗い方向へ、対立する方向へ、低俗化へと目を向ければ向けるほど、建設の意欲は失われていく。最初は嫌悪したことであっても、いつのまにかどっぷりと浸ってしまう。明るい談笑の方向へ、未来を見つめ、社会に目を開いていく方向へと舵をとることがあなたの務めであり、先ほど言った色心不二の原理で、事実、家庭そのものが変わってくることは疑いない。
 鏡には表と裏がある。裏がなければ表はない。しかし、いくら鏡の裏を見つめても、像は現れない。表を見なければ自分の姿は映らない。それを人の性格にあてはめるならば、鏡の表は長所で裏が短所であるといえないだろうか。男性には男性の、そして女性には女性の長所と短所がある。たとえば、さっぱりして大きくものごとをとらえるが、ちゃらんぽらんで楽観的すぎるのが男性なら、細かく気がつき真面目だが、見る目が狭く、木を見て森を見ないのが女性の特徴だといえなくもない。
 その欠点を補いあい、長所へと転じていくのが対話という作業ではないだろうか。ともすれば気づかないうちに鏡の裏をのぞいている自分を気づかせてくれる存在があってこそ、成長も変革もあるはずである。話し合う──この最初の一歩が、同時に女性解放、というより人間解放という人間にとって最大の山の頂上を極める最後の一歩ではないかとさえ、私は思っている。
 私は人と話すことがこのうえなく好きである。一人の人と話すことはその人の人生に触れることであり、その人を自分のなかに吸収できるからなのだろう。私は今年も、いや一生、誰かれを問わず肩をたたいて話しかけていくにちがいない。そしてそれが社会の隅々にまで行きわたったとき、どれほど潤いのある、相互理解の世界を創りだしてくれることであろうか──私の初夢は、今年もとめどもなく広がっていくようである。

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