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日蓮大聖人・池田大作

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未来社会を担う「創造家族」とは  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

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2  力強い「開かれた家族」
 要は、家庭を守る主婦の、賢明にして巧みな手綱さばきに、家族集団の未来がかかっている。主婦は、家族間の調停者でもある。
 老人と子供の間に断絶が生じたときは、談話のなかでタテ糸をつむぎ、子供同士のいざこざには公平な裁判官となり、社会でうけた夫の心の傷跡を優しい女の本能で守る。もし家庭に、憎悪の嵐が巻き起これば、愛で包んだ知恵で静める。冷ややかなすきま風が通り抜ければ、肺炎にならないうちに、温かい団欒の場をととのえる。
 夫との間には心の底からの相互信頼を、子との間には厳愛と尊敬の交換を、兄弟には協調の心を、それぞれの血行に流し込む努力を怠らない主婦であってほしいと思う。慈愛深く、賢明な女性、家庭における太陽のごとき主婦にこそ、私は、未来の家族と社会の建設をゆだねたいと願っている。
 よくいわれることだが、家庭は社会のオアシスであるという。くつろぎと消費の場であるという人もいる。愛する者と暮らす城であると主張する若者もいるはずである。
 私も、そうあってほしいと思う。愛と信頼の清水がわきだし、質素でも手づくりの味がととのえられ、さらに、主婦の太陽のほほえみのごとき、にこやかな微笑が投げかけられている家庭の醍醐味を満喫しない者はいないであろう。老人は長寿の喜びをかみしめ、夫は明日への活力を養い、小さな子供たちの生命には豊かな情操が芽生えていく。
 まさに、福沢諭吉の「家の美風その箇条は様々なる中にも、最も大切なるは家族団欒相互に隠すことなきの一事なり」(『福沢諭吉全集』第六巻、岩波書店)との名言を絵にしたような風景ではなかろうか。
 だが、幸福そのものの風情も、一陣の嵐とともに吹き消されることがある。主婦のほほえみを凍結させる狂乱物価の寒風もあれば、夫の蒸発をもまねきかねない失業という竜巻が襲うこともある。交通事故、子供の病気等々、台風の発生源はいたるところに散在している。また、嵐が、家庭の内部から発生することも少なくはない。
 もし、一見、幸福そうにみえても、社会から逃避した“片すみの安らぎ”の城であれば、寸時にして崩壊をまぬかれないであろう。
 社会への窓を閉じた家族ほど、不幸にもろい集団はない。社会の激動に揺られながらも、嵐のもつエネルギーをくみとるほどの強靱な生命力をたくわえた家族集団を、私は、未来家族に期待しつづけている。その家族は、常に社会に開かれ、社会に充満する悪と戦う集団である。いわば、人間生命における白血球や免疫体のごとき細胞の集合体にもたとえられよう。
 「開かれた家族」は、社会の風波に直面する集団であるから、絶えまない知恵の発動をうながされる。家族の構成員に創意がなければ、いかに力強い愛の絆でも、政治や経済の激風に耐えることは望みえまい。
3  創意に満ちた主婦の姿
 狂乱物価に、まず、知恵の発動をうながされるのは、家庭の主婦である。
 悪どい企業者のエゴを見抜く知恵、毎月の家計簿からその家庭の症状を冷静に診断し、対策を練るための知恵、できるだけ物を長持ちさせ、有効に使用する知恵、高価でなくても手づくりの味をととのえる知恵ある主婦、夫との対話、マスコミを通じての情報、隣人との情報交換、祖父母の深い経験に根ざした知識を吸収しながら養いゆく理想的主婦の姿を、私は思い描くのである。
 主婦が創意に満ちた生き方をしていけば、その生き方はそのまま、子供たちの生命に植えつけられる。それは家庭教育のなによりの栄養分となるはずである。
 夫や祖父母の心からの協賛をえることも、ほぼ間違いないであろう。創造的な知恵を絶えず磨きぬく主婦の照らす家庭には、創造的な生命をはぐくむ土壌がつちかわれていこう。ある哲人は「家庭は社会の永遠の学校である」と言ったが、「社会に開かれた家庭」からは、いかなる試練にも耐える創造的生命が羽ばたいていくにちがいない。
 「創造家庭」「創造家族」の集団は、愛の動脈をかよわす人間錬磨の道場である。夫と妻、父と子、兄弟姉妹の間に繰り広げられる相互啓発の人間模様ほど、華麗な美を私は知らない。既成の美、他者から与えられた美には、生の輝きが失せている。
 創造家族のあやなす家庭美には、祖父母や老人たちの伝統が息づき、現代感覚に目覚めた若者の血潮と融けあっている。現代と歴史の触発、重厚な体験と青春のエネルギーの昇華から、創造家族のつくりだす未来の家風がうぶ声をあげる。個性豊かな家庭原理とも呼ぶことができる。
 押しつけられた人生観ではない。与えられたビジョンでもない。一昔前のカビのはえた生活様式でもない。創造のかぎりをつくして、家族全員の協調と汗のもたらした家宝──その伝持者に、私は主婦を選びたいと思う。
 主婦の体内にはぐくまれ、次々と誕生する核家族に伝えられる、その家族独自の生活理念が、娘や息子や孫たちの、逞しい未来を飾るにちがいない。創造家族の営みは、社会に開かれているとともに、世代を貫いて未来の人類にも開かれていると言わざるをえない。
 私は、つねづね、暗雲たれこめる二十世紀後半の世界を転回させる人間群を、創造的人間に求めてきた。あと二十五年にして幕をあける新たな世紀に現出するであろう社会を、創造社会と呼べるようであってほしいと願っている。そして、今、私は、創造社会という生命体の基礎をなす家族集団──創造家族──の創設を、慈愛と知性美にあふれる太陽のごとき主婦の手に託すことができるかどうかに、未来社会の一切がかかっているとさえ思うのである。

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