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日蓮大聖人・池田大作

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新しい父親のあり方  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

前後
3  毅然たる態度と一切を包容する広さ
 ともあれ、外に出て働いている父親は、そこでの苦労を妻や子供に、十分には知ってもらえないのが普通である。その労働の報酬である収入も、家族にとっては、それが当たり前のようになって、そのために父親を尊敬するとか、大事にするとかということは、滅多にない。
 「母の日」は覚えてくれているが、「父の日」は、およそ無視されるのが常である。
 人間は、経済的恩恵に対しては、やがて慣れっこになり、感謝の気持ちなど忘れてしまうものだ。むしろ、その少ないことに不満を鳴らすようにさえなる。厄介といえば、人間ぐらい厄介な動物はなかろう。しかし、精神的恩恵、精神的な豊かさを与えてくれるものに対しては、いつまでも感謝の気持ちを失わないし、敬意を払うものである。父親の“権威”というものがあるとすれば、私は、この精神的な面にこそ求められるべきだと考えたい。
 父親は、家庭の細かいことや、子供に対して、うるさい存在であってはならない。毅然として男らしく、ある意味では超然としているべきだと私は思う。母親は躾に厳しく、教育等にも、ある程度は口うるさい存在であってよいが……父親は、悠然としていて一切を包容していくような広さをもたねばならないと考える。
 しかし、人間としての生き方の根本にかかわるような問題については、厳然と子供を諭し、引っ張っていく決意が、また必要であろう。何が人間として大事なことか、何が人生において基本的なことか、そうした物の見方や考え方を教え、それに対する処し方を躾けていくのは、まず父親でなくてはならない。このような賢明さ、当を得た躾というものは、子供の人生にとって、かけがえのない宝となり、父親に対する尊敬の念は、生涯にわたって、消えぬものとなるにちがいない。

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