Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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子供に託して  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

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6  「生命の火」を愛せ、ママを大切にせよ
 わが三人の子も、このような重苦しい時代に生まれあわせて、私よりも先まで生きつづけなければなりません。病苦と戦争はどうやら免れたと思っていたところへ、とんでもない伏敵が現れてきたわけです。生きる以上、この手強い伏敵を避けて通ることは許されません。ではどうしたらよいのか、これは人間のこれまでの考え方に、根本的な変革がどうしても必要になってきたと、私は考えるのです。さもないかぎり、事態の悪化は底知れぬことになると憂慮するものです。
 まず、現在のもろもろの公害というものを、まるで天災のように不可避などうしようもないものと思いなしているこれまでの考え方に、すべての錯誤の原点があるように思われます。インフレといっても、所詮は人災です。経済機構を操る浅はかな人間のもたらしたものです。環境汚染にしろ、資源の乱開発にしろ、明らかに天災ではなく人災です。戦争もまた人災の極点に達したところのものです。現在の平和は核の抑止力によるというより、さんざん懲りた人びとの反戦平和の思想が戦争をどうやら抑えるところまできたというべきでしょう。つまり、人災は人がその気になれば、どんなに不可能にみえようとも、所詮防ぐことのできるものだと私は考えたいのです。その気が問題なだけです。それを政治技術や経済技術や科学技術の小手先だけで解決しようとする旧来の考え方だけでは、おそらく事態の抜本的な解決は不可能であるに決まっています。
 近代科学の驚異すべき発達をもたらしたものは、たしかに人間の知恵でありますが、この知恵には大きな欠落があったことに気がつかなかったのです。科学文明の華やかな栄光に眼を奪われて、人間の生命の尊厳を見落としてしまい、そして、それが現代人の習性となって、なんの疑いもいだかず今日に至ってしまったのです。その結果、見落とし、無視してきたところのものが、人災というさまざまな収拾のつかない公害を生んでしまったのです。
 事態はあらゆるものについて、発想を変えなければならぬところに迫っています。習性となっているこれまでの考え方を、人間たることの原点、つまり生命の尊厳に発想の立脚点をおかないかぎり、人災による終末思想に人類は流されていくにちがいないでしょう。まったく新しい発想、生命の尊厳にもとづく法理だけが、今、人類の宿命を転換する可能性をもって、今世紀の一隅で現に光明を点滅していることを私は知るのです。
 きたるべき世紀の人類のためにも、その一員であるわが子のためにも、この光明の火を絶やすことなく、燃えあがらせることに、今の私はこの生涯を賭しての生きがいを見いだしているのです。
 最後に彼らにもやがて恋人ができ、結婚するでしょう、その時に私はただ一言いいたいのです。「パパのことはいい。ママだけは大切にしてあげてくださいよ」と。

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