Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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子供に託して  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

前後
2  息子たちの青春にわが轍を踏ませまい
 幸いに、子供は一人のこらず健康に育ちました。学業の成績がどうだとか、性格がどうだとかいったことは、ほとんど気にかけませんでした。人間、健康でありさえすれば、どんなことだってできないことはない。たとえ子供たちが、きわめて平凡な一生を送ったとしても、健康でさえあれば幸福はすぐそのそばにあるはずだ、引き寄せるか、引き寄せないかだ、と私は思っております。
 しかし三人の男の子です。ときには、健康すぎて家の中はプロレスのリングになることもありました。硝子、障子の骨を折ったり、床板が落ちたり、風呂桶の底が抜けたことも数回ありました。妻は乱暴な男の子三人に閉口して、たびたび嘆きましたが、私はこれこそ健康の証拠ではないか、と他人事のように一笑に付すことができたのも、わが生活信条の第一条がわが家で結実するのを見たからです。
 さて、健康だけにしか重点をおかなかった無策なわが家の教育方針でしたが、年とともに案ずることもなく平穏にすすんでいます。人はそれぞれの才能をもって生まれてくるもので、その芽に霜のかからないように心を配ってやればよいのでしょう。三人のうち一人は読書を楽しんでいるようで、誰にも言われないのに深夜まで机に向かっていることもあります。一人は春風駘蕩としていて、学生生活をエンジョイしているようです。もう一人は、星に凝ってしまって宇宙観測の真似事をし、ある時は真冬の夜中でも望遠鏡ばかりのぞいています。三人三様の才能がそれぞれあることは確かで、健康がそれを障りなく伸ばしてくれるにちがいありません。
 こんなわけで、わが子に、私の辛い轍を踏ませたくないと決意したことは、まずまずの成果をあげました。
3  十九歳、生涯の恩師にお目にかかれた年
 終戦の時、昭和三年生まれの私は十七歳でありました。ばかげた戦争は終わり、世の中は急に百八十度変わったのですが、敗戦国の市民という重荷の上に、私の病弱はなおもつづいて残っていました。戦後も人より余計な苦労を一つ背負っていたわけです。爆弾は落ちなくなりましたが、人間一人それぞれ生きることの困難な時代で、微熱の躰でも自活の道を講じなければなりませんでした。戦争の爪痕は、どこの家庭にも深い傷を残し、それがいつまでも膿んでいるような時期でした。
 ある日、長兄のビルマ(編注・現在のミャンマー)での戦死公報がはいりました。その知らせを聞いた母の、嘆きのただならぬのを眼にしたとき、私は初めて戦争に心から肚を立て憎み、辺地で死んだ兄を想い、戦争の残酷さにしみじみと思いを凝らしました。人間社会の非情さというものが、戦争という媒体をとおして、私にはよくわかったような気がしました。人が人を殺すことを至上命令とする国家というものの正体、人類はなんという愚行の数々を正義の名において繰り返してきたことか──こうしたことを理路整然とはいきませんでしたが、独り思いあぐねては哲学書や文学書を読みあさるようにもなりました。つまり、愚かな若い私は立ちふさがる社会に対して目を開かざるをえなくなったのです。
 病苦の体験から、わが生活信条の第一条が生まれたように、戦場には行かなかった私の戦争体験から、戦争の残酷と悲惨からこの世を永遠に救わねばならない、現代の人間として最優先になすべきことは、この一事にあるという社会信条がいつか形成されはじめました。
 そのころ、十九歳になっていた私は、生涯の恩師戸田城聖という方にお目にかかり、私の社会信条の理念がすでに仏法の骨髄に明確に説かれていることを知りました。そればかりではない、この理念を現実化する実践的方法まで、この実践的哲学者は説いてくれたのです。人間一人の四苦八苦の救済から人類社会の宿命の転換にいたるまでの道程に、強い光をあてて 掌 をさすように教導してくれました。何をなすべきか、私の生涯の指針もおのずから決定されたのです。
 この指針を遵守することから、病苦も乗り越えることができ、日々の活動に生きがいある生活軌道を見いだして今日にいたりました。
4  わが子らよ、自ら勤労を求める者になれ
 こうした閲歴をもった私が、三人の子供に遺すべき遺産は何かといえば、逢いがたくして逢うことのできた仏法の真髄しかありません。彼ら三人の人生には、それだけで十分だと思っております。
 彼らには戦争の体験は断じて踏ませたくありませんが、そのような危機に立ったとしたら、どのような職業、どのような境遇にあろうとも、彼らは身に体する最高の仏法理念から、私と同じ社会信条をもつにちがいないと信ずることができるからです。
 残念なことに、現代はなお戦争の危機を内包しております。この危機を政治的解決にだけまかせておくことは、人類の歴史をつぶさにたどってみれば、それがいかに危険なことかを知らなければなりません。ましてボタン一つが、取り返しのつかない核戦争を惹起するであろうことを思うとき、人間の心に巣くう悪魔的な暗黒面をどのように変革するかに、人類の未来はかかっています。破滅か、蘇生か、その二者択一を日に日に迫られているといってよいでしょう。人類の永遠の蘇生と繁栄のために、私は生涯、微力を捧げようと世界的規模の活動に、私は私なりに、身を挺することに懸命にならざるをえないのです。
 まことに厄介な時代に、私の三人の子も生きぬかねばなりません。やがて学業を終えて、社会に出ていくでありましょう。どのような職業につき、どのような生活をするかは、三人のそれぞれの性向が決定するところで、私の干渉するところではないと思っていますが、どんな勤労にも堪えてほしいと願っております。幸いにして、病苦を免れ、戦争を知らず、生活苦もなく過ごした恵まれた子供たちです。ただ憂えるのは、勤労精神において欠けるところがありはしないかということです。
 私は育った境遇から、幸いにして少年期にして勤労の尊いことを早くも身につけることができました。しかも病苦と社会的激動のなかで知った勤労という精神です。それをそのまま彼らに求めることは不可能ですが、彼らのこれからの長い生涯につづくであろう勤労に、堂々と堪えて人間としての見事な歩みをしてもらいたいと希うのです。
 健康な躰と、学業によって身につけつつある知識をもつ以上、あとは社会の風波のなかで抜き手を切るには、強固な一つの信念がなければなりません。実社会はやがて彼らに、いやでも勤労のなんたるかを教えるでしょうが、勤労を強いられるのではなく、自ら勤労を求めて買って出る人になってほしい、と私が思うのは勝手な親心でしょうか。それは人類社会は錯雑した問題を年ごとに抱えてきている以上、なまなかな勤労では解決の糸口を得ることも困難な時勢になっているからです。
5  科学進化の裏に追いやられた人間の尊厳
 戦後二十八年、私たちの国は戦争を避けて通ることができました。戦争の悲惨さは日に日に人びとの記憶から遠ざかりつつあります。幸運なことといわなければなりませんが、二十八年たった今、手に余る多くの危機的問題に直面しております。戦争のような誰の目にも悪と映るものとは異なり、それはじつに目立たぬところで緩慢に隠微に人類の生存を脅かしてきていたのです。気がついた昨今、人びとはもはや手遅れではないかとさえ思いはじめています。
 世界的な不気味なインフレの進行は、これまでの経済理論では手に余る問題です。また地球上の水も空気もいつのまにか汚されてしまって、毒のある空気を吸い、毒のある野菜と穀類と肉を日々口に入れなければならない環境汚染の問題、さらに年々恐るべき勢いで増加する地球上の人口に比例して、有限な地球面積で生産される食糧のやがてくるであろう限界をどうしたらよいかという食糧問題など深刻になってきました。
 また、最近はエネルギー資源のやがてくるであろう枯渇状態を予想して、まず石油資源の確保に血眼にならざるをえなくなりました。核爆発の恐怖よりもさらに大きな恐怖がいくつも地球上を覆いはじめました。
 まことに問題は山積していて、どれ一つとっても、現在の人間の知恵では早急に解決できそうもない問題ばかりです。現実にこのような時代が、こんなに早くくるものとは誰も予想していなかったことで、地球のGNPの増大は槿花一朝の夢となりかねないところまできてしまいました。しかも、こうした時代を迎えて、人間はなお生きなければなりません。絶望感は人びとの心に芽生えて、それがいつか終末思想に育ってきました。
 もともと終末思想というものは早くからありましたが、近来の山積した問題から終末思想が起きることはまったく予想になかったことです。地球は厖大だが有限な一天体にすぎず、宇宙の一天体である以上、成住壊空の四劫を離れることはできないというのが仏法三千年前からの宇宙観でした。それによりますと、今は住劫にあるが、いずれ破壊し空の状態に帰する時もくるだろう。しかし、それは気の遠くなるような先の先の話ではあるが、終末がないというわけにはいかない。そして空の状態からまた成劫に入る。つまり永遠に四劫を繰り返していくのが宇宙の実態である。これは人間の知恵や力をはるかに超えたところのもので、宇宙自体の運行のしからしむところである――。現代の宇宙を科学する学説も、ややこれに近いところまで歩み寄ってきました。
 しかし、このような宇宙観よりする終末思想と近年生じた終末思想とは、明確に区別する必要があると私は思っております。つまり、前者は人間にとってまったくの天災といってよいが、後者の終末思想は人災から起きたところのものであるからです。地球は遠い将来いつか滅びる時がくるでしょうが、当分はまず安泰です。今のところ、きわめて陽気な終末思想といってすましていられますが、発達した科学社会のもたらした数々の公害に侵食されはじめた現代は、人類の尻に火がついたような痛みをともない、目下なすべき得策のないところから、一挙に終末思想に走ろうとしています。
6  「生命の火」を愛せ、ママを大切にせよ
 わが三人の子も、このような重苦しい時代に生まれあわせて、私よりも先まで生きつづけなければなりません。病苦と戦争はどうやら免れたと思っていたところへ、とんでもない伏敵が現れてきたわけです。生きる以上、この手強い伏敵を避けて通ることは許されません。ではどうしたらよいのか、これは人間のこれまでの考え方に、根本的な変革がどうしても必要になってきたと、私は考えるのです。さもないかぎり、事態の悪化は底知れぬことになると憂慮するものです。
 まず、現在のもろもろの公害というものを、まるで天災のように不可避などうしようもないものと思いなしているこれまでの考え方に、すべての錯誤の原点があるように思われます。インフレといっても、所詮は人災です。経済機構を操る浅はかな人間のもたらしたものです。環境汚染にしろ、資源の乱開発にしろ、明らかに天災ではなく人災です。戦争もまた人災の極点に達したところのものです。現在の平和は核の抑止力によるというより、さんざん懲りた人びとの反戦平和の思想が戦争をどうやら抑えるところまできたというべきでしょう。つまり、人災は人がその気になれば、どんなに不可能にみえようとも、所詮防ぐことのできるものだと私は考えたいのです。その気が問題なだけです。それを政治技術や経済技術や科学技術の小手先だけで解決しようとする旧来の考え方だけでは、おそらく事態の抜本的な解決は不可能であるに決まっています。
 近代科学の驚異すべき発達をもたらしたものは、たしかに人間の知恵でありますが、この知恵には大きな欠落があったことに気がつかなかったのです。科学文明の華やかな栄光に眼を奪われて、人間の生命の尊厳を見落としてしまい、そして、それが現代人の習性となって、なんの疑いもいだかず今日に至ってしまったのです。その結果、見落とし、無視してきたところのものが、人災というさまざまな収拾のつかない公害を生んでしまったのです。
 事態はあらゆるものについて、発想を変えなければならぬところに迫っています。習性となっているこれまでの考え方を、人間たることの原点、つまり生命の尊厳に発想の立脚点をおかないかぎり、人災による終末思想に人類は流されていくにちがいないでしょう。まったく新しい発想、生命の尊厳にもとづく法理だけが、今、人類の宿命を転換する可能性をもって、今世紀の一隅で現に光明を点滅していることを私は知るのです。
 きたるべき世紀の人類のためにも、その一員であるわが子のためにも、この光明の火を絶やすことなく、燃えあがらせることに、今の私はこの生涯を賭しての生きがいを見いだしているのです。
 最後に彼らにもやがて恋人ができ、結婚するでしょう、その時に私はただ一言いいたいのです。「パパのことはいい。ママだけは大切にしてあげてくださいよ」と。

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