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日蓮大聖人・池田大作

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妻の生きがい  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

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3  目標を自覚して積極的に
 大切なことは、家庭生活の外にではなく、そのなかに、どのように自己を発見し、拡大していくかということだと思います。
 たしかに生活が合理化され、肉体的な労働が軽減されたとはいえ、そこに、どう創意工夫をこらしていくかによって、いくらでも楽しくしていくことができます。たとえば、インスタント食品にしても、それをどう美味しく料理していくか、手をかけて、家族の人びとの口にあうようにしていくかといった、創意工夫の領域は残されているはずです。掃除や洗濯などが機械化され、主婦が手を抜けることは、大いに結構だと思います。しかし、主婦の愛情が直接、しかも微妙に反映される料理などは、少々手間をかけても、それにふさわしい効果をあげたいものです。そうした努力は、温かい夫婦愛、親子愛を持続させる偉大な力となっていくでしょうし、そこに創意工夫をこらすこと自体、主婦ならではの賢明な知恵というべきでありましょう。
 また、余暇という問題も、それをつぶすにはどうしたらよいかという考え方からとらえるのではなく、どう生かしていくかという点から見直されるべきです。
 かつては、余暇というものは、王侯貴族の専有物でした。一般大衆は、その当時においては、生きるために働くことで精いっぱいだったのです。しかし、今は、余暇は大衆のものとなり、それとともに、いかに生きるかということが、あらゆる人びとの最大の課題になりつつあるのです。そのなかの一つの大きなテーマが、妻の生きがいという問題なのです。
 このいかに生きるかという課題が、じつは、今日までの文化を生み、支えてきたといってもよいでしょう。しかし、昔は、それを考えるのは、一部の余暇をもった人たちであったために、芸術とか、学問とかいった文化は、いわゆる“有閑階級”と結びつき、一般民衆とはかけはなれた存在でもありました。それが現在では“大衆余暇時代”となってきたのです。つまり、それは、文化もまた、大衆のものであり、庶民の日常生活のなかにはぐくまれていくことを示すものであると思います。
 こうしたことから考えると、女性が余暇を得たということは、女性の、知的、精神的な責任が大きくなったことを意味するといえます。というより、その面での苦労がなければ、妻の生きがいというものは、ありえなくなってしまうのです。
 具体的にいえば、音楽を聴くとか、手芸を身につけるとか、詩をつくるとか、絵をかくとか、スポーツを楽しむとか、さまざまなことがあるでしょう。しかし、何をやるにしても、それには、労苦をいとわないで突きすすむ積極的な姿勢が必要だと私は思います。真剣さのともなわないものには、喜びもないからです。
 生きがいとは、目標をはっきりと自覚し、それを自分の責任において、汗を流して遂行し、達成していくときに生ずる充実感、満足感といえるでしょう。また、それをとおして、自分が人間的に成長したという実感、また、人間関係を深めることができたという手ごたえ──こういったものが、生きがいをより大きなものにしていくのだと思います。
 したがって、それは、たんに自分だけのことでなく、なんらかの社会的意義をもった目標であること、一時的でなく永続性のあることが、より生きがいを大きくしていくことになります。 ただし、大切なことは、自分らしいなんらかの目標を発見して──それが、どんなささいなことであっても──そこに、自分をぶつけてみることです。むろん、人それぞれに環境も違い、立場も異なりますから、背伸びして、なにか特別なことをやろうと考える必要は、毛頭ありません。最も身近な、手の届く範囲のことがらでよいのです。今、自分がやっていることのなかにも、新しい目標を打ち立てることもできるでしょう。見栄は、長つづきしません。かえって、その人格を下げることでさえあります。要は、自分自身が意義を感じているもの、やりがいのあるもの、それを主体的に選び、そこに思いきって挑んでみるという、前向きの姿勢が大切です。
 それは、妻だけでできるものではなく、夫や子供たちの協力も必要である場合もあるにちがいありません。夫の生きがいのためには、妻の協力が必要であり、妻の生きがいのためには、夫の温かい理解と協力が、かぎりない激励になることでありましょう。しかし、それぞれが、自己を主張するという形で、それを求めあうのではなく、互いに理解し、協力しあうことに重点をおいていけば、きっと社会のなかに美しい、潤いのある家庭を築きあげていくことができると、私は信じてやみません。
 そして、こうした、日常的な家庭生活をベースにして積極的に社会の場に躍り出ていくときに、生きいきとした自己を再発見するにちがいありません。
 これは、理想にすぎる話と思う人もいるかもしれません。しかし、その方向へと、忍耐強く、舵をとっていくことが、賢明な妻の知恵であり、手腕ではないでしょうか。

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