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日蓮大聖人・池田大作

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妻の思いやりが男を蘇生させる  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

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4  妻の思いやりと夫の蘇生
 このような一切の重圧のなかで、ともかくそれを防御し、なんとか血路をひらこうと最先端に立たざるをえなくなったのが、この世の亭主族ではないでしょうか。ぐうたらであろうと、なんであろうと、絶望的な終末感のなかから奮い立とうとし、いま出発点に立っているのです。このような男こそ、現代の「男のなかの男」と言わなくてはなりません。
 家庭が、さまざまな社会崩壊化の重圧に押し流されて、同じく崩れてしまうとしたら、この世の男という男は住む場所も寝る場所も失ってしまうことになります。社会、社会といっても、つまるところ無数の家庭の集積にすぎません。家庭が崩壊しなければ、社会も崩壊はしないでしょう。そして家庭、家庭といっても、血族の人間一人ひとりの集まりです。この一人ひとりの人間が崩れないかぎり、家庭の崩壊はありえません。
 社会の一切の原点が一人ひとりの人間にあるとしたら、その人間にとって一番大切な代えがたいものは何かといえば、一人ひとりの生命でしかないのです。この生命の存立が、現代ほど脅かされている時代もかつてありませんでした。現代の恐怖は、ことごとくここに基づいています。しかも、人間の生命についての知識は、まだまだきわめて貧しいものです。しかし、この根源の問題を避けて通ることはできないところまできてしまいました。一人ひとりの生命の尊厳がどんなに無視されて経済が発展し、政治が運営されてきたか、今日の世相百般を熟視してみれば誰にも容易にわかることです。男性生命の本性ともいえる「男らしさ」の喪失など、まことに当然といわなくてはなりません。
 いつのまにか、私たちはこのような前代未聞の時代環境のなかで生存をつづけざるをえなくなりました。責任を問うとしたら、誰の責任でもない、人類三十数億の責任です。この自覚が社会に生ずるには、まず家庭における自覚がなければなりません。夫たるものの責任を責める前に、このような時代環境と対決を余儀なくされつつ、努力を傾けている亭主族を思いやることができれば、家庭の風波というものは、よほど穏やかであるにちがいありません。
 そして夫にとって、この対決の戦いの最大の味方、百万の味方は、言うまでもなく世の妻たち子たちをおいて他にはありません。今後の家庭は、このような雄々しい戦士とその眷属との温かい巣であってほしいと願うのは、すべての男たちの祈りです。
 夫に対して深く思いやることは、妻のたんなる従順さではありません。生命の尊厳を生活の基盤におくかどうかの、実践の所作であるといえましょう。強力なありがたい味方をもつ夫たちは、雄々しく立ち上がって日常の対決の場で戦うでありましょう。このとき、妻の心に描いていた「男のなかの男」の理想的映像を、妻はくっきりと目にすることができるにちがいありません。それは同時に男の蘇生を意味します。
 ある聖哲の言葉に「女人は男に従い、男を従える身なり」とありますが、これは妻たるものの一生を支え、しかも夫を蘇生させ、力の限りの能力を社会に発揮させるにいたる無量の智慧を秘めている千古の名言だと私は考えています。つまり──男に従うとは、夫のすべてを心から理解して過ちないことであり、男を従えるとは、夫を雄々しく蘇生させることにほかなりません。 ここにこそ、夫婦というものの──現実のなかに生きぬく理想が待ちかまえているのではないでしょうか。

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