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日蓮大聖人・池田大作

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女性にとって「創造」とは何か  

「婦人抄」「創造家族」「生活の花束」(池田大作全集第20巻)

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3  エゴを捨て、社会への働きかけを
 ドイツの詩人、シルレルは「真の愛情を知る者は女性である」との至言を残していますが、愛による幸せの道を開く主体者は、女性であり、妻であり、母であるとの真理を動かすことはできないでしょう。
 それにしても、このような女性の愛も、ともすれば自己愛に変質し、エゴのとりこになりがちなことも、決して否定はできないと思うのです。
 エゴの牢屋に閉じこめられた愛の変質は、女性の欠点ともされている受動的な姿勢、虚栄心の強さ、衝動的で移り気な心情などと結びついて、自らの不幸を呼び寄せ、さらには家族や隣人の犠牲をしいる結果にもなりかねません。また、自分の好みや、反感や、嫌悪の情動で、あらゆる出来事を判断するという欠陥を、周囲にまきちらすことにもなるものです。
 ところが、開かれた愛の努力を忘れない賢明な女性においては、敏感な直観智、機敏な心情、やさしくも温かい情愛などが生かされ、さらには、社会的事象への関心を深めていきます。
 たとえば、病める子をかかえ、苦闘の末に、疾病を乗り越えた体験をもつ母親がいるとします。わが子の病気のひきおこす壮絶な苦痛を味わいつくしたはずです。
 こうした人生の厳寒を通り過ぎた、慈しみ深い女性であれば、隣人に、もし、同じ悩みが襲いかかったとき、ありとあらゆる援助の手を差しのべることでしょう。それは、病める子をもつ悩みを、他の誰人よりも、熟知しているからであります。時によっては、隣人の苦しみを代わってあげたいと思うほどの衝動を、抑えきれないのではないでしょうか。
 隣人への援助のために、過去の体験から学びとった知恵が総動員され、鋭い感受性が敏捷に働き、病める親子の、このうえもない良き相談相手となり、看護婦の役割さえ果たしうると考えます。
 さらにそれは、隣人に終わるのではなく、社会的な次元にまで拡大されていきます。同じ疾病に侵された子をもつ親たちとの連係を図り、社会的運動にまで高めていく努力へと向かいます。
 また、経済的貧困の辛酸をなめつくした女性ならば、物価高、物不足といった事態に直面しても、生命で呼吸してきた知恵を生かして、地域の人びととも語り合い、社会的不安から地域を守る、人間連帯の輪を築くこともできます。
 またそのとき、地域の庶民への愛にまで広がった豊かな心は、政治家、企業家の動静を見逃さず、悪の根源を断ち切るための政治の分野への参画を試みるでしょう。
 そのほか、女性として、母として、妻としての生活人そのままで偉大な力を発揮する舞台は、数えきれないほどです。
 若い青年の恋を見守るのも、女性の心理の微妙さに期待するほかはありません。甘い恋の成熟ばかりでなく、失恋のほろにがさを、ふたたび、貴重な人生経験としてかみしめる場合も起こりえます。
 少しばかりの具体的な考察をしてまいりましたが、創造は決して、男性に特有な能力ではありません。私は、聡明な女性の、優美にして広い愛情こそが、庶民の生命と生命をつなぎ、人間らしい価値と幸福を開きゆく創造の、あまりにも清らかな泉水であると確信しています。
 母なる大地の底に、万物をはぐくむ慈愛が脈打つように、家族と隣人と、そして人類社会の大地にも、女性の、妻の、母の慈悲心が豊かな清水となって流れていくことを、一人の男性としてではなく、一個の人間として、私は期待したいのです。

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