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まえがき  

「敦煌の光彩」常書鴻(池田大作全集第17巻)

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3  まえがき  池田 大作  
 私が中国を初めて訪問したのは、一九七四年(昭和四十九年)である。緑が萌えている五月末から六月半ばにかけての二週間余の旅であった。
 悠揚と蛇行する長江も目に収めた。黄河の雄大な流れも見た。万里の長城にも登った。新しい中国の工場、農村、幼稚園から大学までの教育施設などの参観、李先念副総理をはじめ各界の指導者や青年、庶民との語らいをとおして、多くのことを学んだ。それとともに私の心を豊かに満たしてくれたのは、若い時代から親しんできた中国の史書や詩集などによって頭のなかに描いていたものと、現実に目にしたものとの、重なりと隔たりからもたらされる精神の躍動だった。
 写真などで、ある程度の知識をもち合わせている対象に遭ったとき、予想との大きな違いに驚いたり、新しい発見をすることは、たいへん楽しいことである。また、自分の想像力によってのみイメージが形成されていた対象の前に立ったときの心のはずみも大きかった。
 たとえば『三国志』や、司馬遷の『史記』の時代を生きた人々の歴史の舞台を歩きながら、遙かな歳月を逆戻りさせて、当時の英雄たちや庶民の姿を思い浮かべてみると、彼らはより明確な輪郭と彩りで迫ってくる。
 こうしたことはだれもが旅での楽しみとすることだろうが、とりわけ中国への初めての旅では、この楽しみは大きかった。それは私の読書体験のなかで、中国の古典や詩集に親しんだ度合いが、とくに深かったせいかもしれない。
 なかでも、かつて長安の都であった古都・西安の旅では、その思いを強くした。ここに遙かインドや西域からの文化が流入してきた。長安の都から大陸を西へ遠くローマの都まで結んだ壮大なシルクロードをとおしてである。
 この西安の旅の十三年前、私はインドへ行った。ガンジスの流れを目にし、仏教の発祥の地であるブッダガヤーに足を運んだ。そのときブッダガヤーから西域、敦煌、長安、朝鮮半島(韓半島)、そして日本にいたった「精神のシルクロード」の遙かなる広がりが実感として伝わってきた。それからさらに歳月が流れ、西安に来て西方を遠望すると、西域をうたった名詩の一節一節が断片的に浮かんできた。
 「西のかた陽関を出づれば故人無からん」(吉川幸次郎・三好達治『新唐詩選』岩波新書)――敦煌の西、陽関を出ると果てしない砂漠の海が広がり、知る人はいないという王維の別離の詩。「玉門西望すれば腸断つに堪えたり」(目加田誠著・渡部英喜編『唐詩選』明治書院)――長安を去って万里余、玉門関からの悲痛な思いを伝える岑参の絶唱。それらが現実感をもって迫ってきて、私の西域、敦煌への心理的な距離は、ぐっと近いものになった。
 この距離をさらに大きく縮めたのは、当時、敦煌文物研究所所長をされていた常書鴻先生との出会いであった。初めての訪中から六年後、私の第五次の訪中(一九八〇年四月)の折である。北京滞在中に、わざわざ私の宿舎まで夫人の李承仙女史とご一緒に訪問してくださった。
 常先生との出会いは、まったく予期していなかったことである。訪中のたびにお世話になっていた孫平化先生(中日友好協会会長)が紹介してくださり、私たちは幸せな、心満ち足りた語らいを、麗らかな春の日差しのなかでつづけることができた。
 常書鴻先生の人柄には詩があり、芸術がある。歴史があり、ロマンが薫る。私たちのシルクロード、敦煌をめぐる談議は、二時間半に及んだが、私としてはもっともっと話をうかがいたいほどであった。常先生とのこの出会いから、私の敦煌への関心はさらに大きく深まった。その後、東京でもお会いし、私が創立した東京富士美術館で「中国敦煌展」を開催することになったさいには、ひとかたならぬお世話もいただいた。
 常先生への感謝の思いをこめて作った詩を差し上げ、先生からも詩をいただくなど思い出は歳月とともに深まり光彩を強めている。
 こうした交流のなかで、敦煌をテーマにした対話集の刊行が具体化していった。私はこれまで、世界の各国、各界の方々と対話集を発刊してきた。対話者は、いつしかアメリカ、ソ連、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、インドなどの国々の人に広がっているが、中国で活躍されている方との対話集はこれが最初の試みとなる。
 複雑な国際政治の世界から、個人の日常生活の次元、さらには一人一人の意識のなかにいたるまで、さまざまな「人間の分断」が、平和を脅かし、悲劇を続発している現代にあって、私たちがいかに調和と安定の道を選択するかの責務は、あまりにも重い。
 敦煌の文書や芸術は、遠い歳月を超え、現代に生きる人々にとって貴重な文化遺産となっている。それと同じように、私たちの平和への努力が、未来にこの地球の住人となって生きていく人々のために、二十世紀からの一つのメッセージとなってほしい、との思いを私は常先生と共有する。
 新しい世紀へつづく「精神のシルクロード」には、美しい芸術を花咲かせた「大きく(敦)輝く(煌)」敦煌のような平和の砦が、各地に数限りなく誕生していくことを祈りたい。

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