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日蓮大聖人・池田大作

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伝説的な釈尊像  

「古典を語る」根本誠(池田大作全集第16巻)

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1  根本 いや、そう考えると、未知の作者の人間像が、なにか身近なものとして浮かんでくるような気がします。
 池田 全巻の冒頭に、釈尊の下天げてん托胎たくたいから出家・成道までを描いた八話が置かれていますね。
 私自身は今、読んでみて、これらの話の内容にも深い興味をおぼえるのですが、さらに釈尊をめぐる説話から作者の心事を忖度そんたくしてみると、ひときわ感銘するものがあります。
 根本 そのなかで、冒頭の「釈迦如来、人界ニ宿リ給ヘル語」(巻一・第一話、大系22)全文を引用してみたいと思います。
 「今昔イマハムカシ、釈迦如来、未ダ仏ニ不成給ナリタマハザリケル時ハ釈迦菩薩ト申テ兜率トソツ天ノ内院トイフ所ニゾ住給ケル。シカルニ閻浮提ニ下生シナムトオボシケル時ニ、五衰ヲ現ハシ給フ。其五衰ト云ハ、一ニハ天人ハ眼マジロク事ナキニ眼瞬ロク。二ニハ天人ノカシラノ上ノ花鬘クエマンシボム事無ニシボミヌ。三ニハ天人ノ衣ニハチリル事無ニ塵・垢ヲウケツ。四ニハ天人ハ汗アユル事無ニ脇ノ下ヨリ汗アエキヌ。五ニハ天人ハ我ガモトノ座ヲ不替カヘザルニ本ノ座ヲ不求モトメズシテ当ル所ニヌ。
 其ノ時ニ、諸ノ天人、菩薩此サウヲ現シ給ウ見テ、アヤシビテ菩薩ニ申シテ云ク、『我等、今日此ノ相ヲ現シ給ヲ見テ身動キ心マドウ。願クハ我等ガ為ニ此ノ故ヲベ給へ』ト。菩薩、諸天ニ答テノタマハク、『当ニ知ベシ、諸ノ行ハ皆不常ツネナラズト云事ヲ。我今、不久ヒサシカラズシテ此ノ天ノ宮ヲ捨テ閻浮提ニウマレナムズ』ト。此ヲ聞テ諸ノ天人歎ク事不愚オロカナラズ。カクテ菩薩、『閻浮提ノ中ニ生レムニ、誰ヲカ父トシ誰ヲカ母トセム』ト思シテ見給フニ、『迦毗羅衛カビラエ国ノ浄飯王ヲ父トシ摩耶夫人ヲ母トセムニ足レリト』思ヒ定給サダメタナヒツ。
 癸丑ミズノトウシノ歳ノ七月八日、摩耶夫人ノハラニ宿リ給フ。夫人夜寝給タル夢ニ、『菩薩六牙ロクゲノ白象ニノリテ虚空ノ中ヨリキタリテ、夫人右ノ脇ヨリ身ノ中ニ入給ヌ。アラハニ透徹スキトオリ瑠璃ルリノ壷ノ中ニ物ヲ入タルガ如也ゴトク』。夫人、驚覚オドロキサメテ浄飯王ノ御許ミモトニ行テ此ノ夢ヲ語リ給フ。王、夢ヲ聞給テ夫人ニカタリノタマワク、『我モ又如此カクノゴトキノ夢ヲ見ツ。ミズカラ、此事ヲハカラフ事不能アタハジ』トノタマヒテ、忽ニ善相婆羅門ト云人ヲ請ジテ、タエカンバシシキ花・種ゝクサグサ飲食オンジキヲ以テ裟羅門ヲ供養シテ夫人ノ夢想ヲ問給フニ、婆羅門、大王ニ申テ云ク、『夫人ノハラミ給へル所ノ太子、諸ノ善ク妙ナル相オハス。クワシ不可説トクベカラズ、今マサニ王ノ為ニ略シテ可説トクベシ。此ノ夫人ノ胎ノ中ノ御子ハ必ズ光ヲ現ゼル釈迦ノ種族也。胎ヲ出給ハム時、オホキニ光明ヲ放タム。梵天・帝釈及ビ諸天皆恭敬セム。此ノ相ハ必ズ是レ仏ニ成ベキ瑞相ヲ現ゼル也。若シ出家ニアラズハ転輪聖王トシテ四天下ニ七宝ヲ満テ千ノ子ヲ具足セムトス』。
 其ノ時ニ、大王、此ノ婆羅門ノコトバヲ聞給テ、喜ビ給フ事無限カギリナクシテ、諸ノ金銀コンゴン及ビ象馬ゾウメ車乗シャジョウ等ノ宝ヲ以テ此ノ婆羅門ニ与へ給フ、又夫人モ諸ノ宝ヲ施シ給フ。婆羅門、大王及ビ夫人ノ施シ給フ所ノ宝ヲ受畢ウケオワリ帰去カエリサリニケリトナム語リ伝へタルトヤ」
 以上のようなものですが、要するに、この巻一は、いわば伝説的な釈尊像、仏陀伝と言っていいものですね。
 池田 ええ。釈尊の威徳を慕つての神格化の要素が見られますね。
 しかし、この説話にある天人五衰とか、仏と転輪聖王との主題、また、たとえば四門出遊の話(第三話)なども、伝説にはちがいないが、それをとおして、仏教の出発点や、その志向する道を示唆したものとして、なかなか含蓄が深い。
 根本 それから、数々の本生譚、いわゆるジャータカ説話を収めた巻五も、文学的な形象性の豊かな巻ですね。
 池田 ええ。巻五では、まえに引いた三獣の話(第十三話)とか、九色の鹿(第十八話)、狐と獅子(第二十話)、虎の威を借りる狐(第二十一話)、猿の生肝を取る亀(第二十五話)など、なにかイソップ的な、寓意性に満ちた諸編もありますしね。
 根本 巻六から巻十までは「震日ご部ですが、なかで巻十は、一応、仏教に直接関係のない「国史」編ですが。
 池田 そうですね。厳密な意味では、むろん仏教説話とは言えません。
 しかし、たとえば巻十で栄啓期の三楽(第十話)とか、巌を射た李広(第十七話)とか、卞和の玉(第二十
 九話)とかの話は、日蓮大聖人も、御書のなかで、中国の歴史書を原典として引用しています。
 世俗の故事、逸話も、仏教の法理を示す一つの例話として用いられたのでしょう。
 根本 さらに巻十一からは、「本朝仏法」部ですが、こうして見ると、明らかに仏教の発祥から、その日本への伝来、流布の歴史をたどっている。――当時においては、これほど本格的な仏教史の編纂は、初めてのものだったようです。

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