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説話文学の誕生  

「古典を語る」根本誠(池田大作全集第16巻)

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1  池田 永井義憲氏の著書(『日本仏教文学研究』第三集、新典社)には、梁の慧皎えこうの「唱導論」が紹介されています。
 布教、説道は決して技術の問題ではなく、むしろ奥底の利他の一念そのものが肝要なのは、言うまでもないのですが、唱導のありようを伝える資料としては興味深い。
 それによると、唱導には声・弁・才・博という四つの資格が大事だという。
 「声でなければ衆を警することが出来ない」「雄弁でなければ時機に適応することが出来ない」「才能がなければ適宜に言葉をえらぶことが出来ない」「博学でないと典拠ある言葉を使えないのである」
 さらに、唱導の対象によって、その内容を配慮しなければならないと説かれている。
 永井氏の要約によると、
 「一、出家五衆の為には切に無常を語り、ねんどろに懺悔をのぶべし。
  二、君主長者の為には俗典を引用して辞も美辞をえらぶ。
  三、庶民の為には具体的な事実を示して見聞せる事によせて説く
  四、山野の無智なるものには身近かなことばによって罪悪となることを示す」
 といったぐあいです
 根本 なかなかおもしろいですね。
 池田 こういう唱導は、しばしば聴衆の意に迎合し、おもねって、本来の趣旨を逸脱したり、技巧に堕したり、生活の資を得るための手段になったりしてしまった場合も少なくないようです。しかし、これを見ると、説話集の素材、文体というのは、かなり実際の座談、唱導の場から生まれたという側面が推測されるのではないかと思えます。
 根本 『今昔』の先駆をなすとも言われる『日本霊異記』を編述した、薬師寺の僧・景戒は、私度僧という民間の仏教布教者出身であった、とされていますね。
 池田 当時、そういう民間の布教者が数多くいたらしいのですね。平安王朝期に、聖とか沙弥とか言われた人々は、都を離れて諸国を流浪し、仏教説話とともに、世俗一般の話題も採り入れて、行脚乞食していたようです。
 そうした唱導僧は、社会的にはきわめて低い評価しか与えられなかったし、また、いわゆる破戒無慙の生活に転落していったものも数多い。
 たとえば、『今昔』にも、昼食を恵んでくれた同行の男を殺して、その荷を奪う阿弥陀ひじりの話がある。時代の転換期というのは、さまざまな混乱した現象を生むものですが、その発生の端緒は、やはり官寺中心の、貴族化し、民衆から遊離した既成仏教への不満であったとみていいのではないでしょうか。
 根本 戦後の混乱期や、現在の世相とも通ずる面がありますね
 池田 さて、話を戻しますが、こういう悪行譚あくぎょうたんも、王朝文学の世界には見られないものです。また芥川の『羅生門』によって有名になった話(第29・第18話)にしても、『薮の中』で知られる話(同・第23話)にしても、あの優雅な王朝貴族たちの生活の、ごく近い周辺にさえ、盗賊が出没している実態は、これが『源氏』とほぼ同時代の世相だったのだろうかと訝しく思えるくらいです。
 「テ其ノ上ノ層ニハ死人の骸骨ゾ多カリケル。死タル人ノハウブリナド否不為エセヌヲバ、此ノ門ノ上ニゾオキケル」(大系26)。これが平安京の南面に立つ、羅城門の偽らざるありさまだった……。
 根本 社会不安、秩序の混乱、政治の弛緩などは、まさにその極に達していたのですね。犯罪を取り締まるべき検非違使が多量の糸を着服して、露顕する話(巻29・第15話)などもあるくらいで……。

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