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日蓮大聖人・池田大作

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重圧から解放された世界  

「古典を語る」根本誠(池田大作全集第16巻)

前後
1  池田 何しろ厖大な分量ですから、私も興にまかせて繙読はんどくしているだけですが、それなりに鮮烈な印象を感じることがあります。 
 その一つは、それ以前の古代文学――『古事記』にせよ、『源氏物語』にせよ、またやや異なるが『万葉集』にせよ、その背景には、ときには息苦しくさえ感じられるほど、藤原氏という古代貴族の集中的な権力の支配が、重くのしかかっているわけですね。あえて言えば、『古事記』から『源氏物語』への流れは、藤原氏が他の豪族との権力闘争によって独裁体制を完成していく、苛烈な政治過程の文学的表現であると見られないこともない。
 それが『今昔物語集』にくると、そうした重圧から解放された世界に、初めてふれたような新鮮さが感じられてならないのです。
 根本 なるほど、それは興味深い視点ですね。
 池田 もちろん『今昔物語集』にも、王朝の残照は色濃くあることは否定しえない。いわば伝統的な価値やイデオロギーや文化に、郷愁をおぼえ、回帰していこうとする志向が、まったくないとは言えません。
 根本 巻二十二には藤原氏の列伝があり、欠巻の巻二十一は、おそらく皇室の列伝であろうと推定されていますね。
 池田 そういう編成自体は、懐古的な意図からというより、むしろ全体の構成上の必要があったからでしようが、たとえば巻二十八・第四話の受領の描き方には、作者の位置がおのずから表れていると思う。ちょっと読んでみますと、尾張守に任ぜられた前司が、喜んで任国へ行ってみた。
 ところが、「国皆亡ビテ田畑作ル事モ露無カリケレバ、此ノ守ミ、本ヨリ心直クシテ、身ノ弁へナドモ有ケレバ、前ゞノ国ヲモ吉ク政ケレバ、国ヲ只ョキ国ニシ福シテ、隣ノ国ノ百姓雲ノ如クニ集リ来テ、岳山トモ不云、田畠ニ崩シ作ケレバ、二年ガ内ニ吉キ国ニ成ニケリ」(大系26)
 つまり、そのころの、苛斂誅求かれんちゅうきゅう(むごく厳しく取り立てること)が常態であった受領としては、稀有な善政を施いた人物だったわけです。
 根本 「受領ハ倒ル所ニ土ヲ爴メ」(大系26)といった信濃守の話(巻28・第38話)とは、対照的ですね。
 池田 ええ。ところが、その尾張守が、五節の行事を命ぜられるが、宮中の作法に明るくないために、若い殿上人から笑いものにされるという筋になっている。
 作者はかならずしも、蔑視する側に同調してはいない。むしろ、心底では尾張守に同情し、憐愍しているようです。しかし、どこかにやはり、田舎者への蔑みの情がないまぜになっているように思える。
 根本 かなり錯綜した、微妙な立場ですね。『今昔物語集』の作者または編者として、宇治大納言と称された源隆国を擬する説がありますが、これは、作者が上流の貴族階級に属するということの反映でしょうか。
 池田 作者(編者)については、大寺の僧侶、書記僧であるとする説もあるらしい。それはあらためて考えたいと思いますが、いずれにしても、こうした矛盾した意識は、特定の個人の立場や資質だけによるものとは思えない。むしろ、既成の勢力や価値が崩壊しつつあり、同時に、新しい価値を担って立つ勢力が、明確には浮かび上がっていない、まさに混沌の様相を呈する過渡期に特有の時代意識の現れとみたいと思います。

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