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日蓮大聖人・池田大作

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宗教意識の変遷  

「古典を語る」根本誠(池田大作全集第16巻)

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1  根本 そこで『源氏物語』における仏教思想という問題について、さらに具体的に考えていきたいと思います。
 当時はすでに仏教渡来から四、五百年ほど経過しており、仏教史にも、さまざまな変遷がありましたが、法華経の影響性はどの程度、認められるでしょうか。
 平安仏教は、最澄(伝教大師)、空海(弘法大師)による天台、真言の二宗が主流をなしていることは、言うまでもありませんが、『源氏物語』というと、ふつう物の怪とか、加持祈禱とか、あるいは浄土思想というものの影響の痕跡が多いようにも見えますが。
 池田 密教的なもの、浄土教的なものは、たしかにありますね。
 平安仏教の主流であった叡山の天台のなかに、そうした要素が混入していた。また、そこから、さまざまの傾向が発生してきている。
 根本 真言密教に対して、これを取り入れたのが、いわゆる天台密教(台密)ですね。これは、慈覚(延暦寺第三の座主)あたりから、すでに始まっているとされていますが。
 池田 そうですね。
 根本 一方、天台宗の教団内におこった浄土教は、延喜・天暦期ごろからひろまり始め、摂関政治の確立とともに、さらに興隆したと言われている。
 摂関・院政期には、王朝貴族社会全体に、浄土教の全盛時代を迎えることになったのですね。
 池田 その代表者が『往生要集』を著した源信――宇治十帖の、横川僧都のモデルとされています。
 根本 律令期には、浄土教はほとんど発達しなかった。井上光貞氏によると、それは、現世を穢土と観じ、否定する浄土教の本質が、律令時代の人々の生活意識になじみにくいものであったからだと理由づけられている。
 摂関制の成立期には、権力から疎外された貴族知識人たちの心の糧としてひろまり、その爛熟期には、皮肉にも、道長をはじめとする最高権力者の精神生活の支柱となっていた(『新訂日本浄土教成立史の研究』山川出版社)と指摘されています。
 池田 『源氏物語』の三部構成に、時代の宗教意識が偶然にも反映しているという説がありますね。岩瀬法雲という方の著書(『源氏物語と仏教思想』笠間書院)を読むと、そのへんの事情が、具体的に論証されている。
 日本天台のなかには、法華一乗を中心としながら、密教的なものと浄土教的なものとが同居していた。それがしだいに、浄土教的なものへと統一されていったというのです。
 根本 たしかに、第三部・宇治十帖には、現世厭離の浄土教のかげが、色濃く表れていますね。
 池田 岩瀬氏は『源氏物語』のなかから、「願」「無常」「厭離」を意味する言葉の用例を拾い上げている。「願」という密教的な現世肯定の姿勢に立った言葉は、第一部にもっとも多い。第三部には少ないし、とくに主人公の薫に関しては、まったく例がない。
 現世否定の契機となる無常観を表す「常なし」という言葉は、全体に用いられているが、とくに光源氏と薫についての頻度が高い。
 しかし、無常から厭離穢土へ進む方向――「いとひ離れる」という言葉は、第三部にのみ表れているというのです。
 根本 なるほど、おもしろい分析ですね。
 池田 これは、作者が、意図的にそのように展開したわけではないでしょう。
 むしろ、素朴な現実肯定から、無常の自覚にいたり、その克服、解決に進むという必然的な精神過程の反映とみたい。
 紫式部は、時代の流行である浄土教の雰囲気に影響されながらも、物語の世界では、安易な厭離穢土の道ではなく、あくまでも現実の苦悩、矛盾を凝視しつづけようとしたように思えてならない。

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