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日蓮大聖人・池田大作

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王朝文学の自然描写  

「古典を語る」根本誠(池田大作全集第16巻)

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1  根本 そこで、今回のテ―マですが、何しろ『源氏物語』という巨きな作品なので、論じたい問題は数多い。最初は、現在の時局的な関心ともあわせて、文明と自然というふうな問題から話を進めていきたいと思いますが。
 池田 結構です。
 ちょうど、あちこち拾い読みしていたら、こんな一節にふれました。「初音」の巻の冒頭です。
 「年たちかへるあしたの空の気色、なごりなく曇らぬうらゝかげさには、数ならぬ垣根のうちだに、雪間の草、若やかに色づきはじめ、いつしかとけしきだつ霞に、木の芽もうちけぶり、おのづから、人の心ものびらかにぞ見ゆるかし」(大系15)
 さりげない文章ですが、現在のゆとりのない世相にあっては、驚くほど新鮮に見える。
 自然の微妙な移ろいを、深く感じた王朝の心がよく表れている。自然をたんなる物理的現象に還元せずに、生きとし生ける命あるものと考え、人間が自然に溶けこみ、調和し、交流しながら生きた世界ですね。
 根本 今の「初音」から「行幸みゆき」までの七章(初音・胡蝶・蛍・常夏・篝火・野分・行幸)は、「玉鬘たまかずら」の巻の「竪の並」と言われているなかで、物語の展開を一年の四季にあわせたものです。
 こういう構成は、世界の文学にも類例のないものだと思うのですが。
 池田 巻の題名に、草花などの自然の風物が多くつけられているのも、独自なものと言っていい。
 だいたい、西洋の小説の自然描写は、今読むと、長々と、退屈でならない。ときには飛ばして読んだほうが、読書の感興が妨げられないでいい場合もありますね。(笑い)
 王朝文学の自然描写は、これももちろん例外はあるけれども、概して物語の展開にしっくりと調和しているようです。
 根本 自然を人間から切り離さず、一体のものとして把握しているからですね。
 池田 そうです。描写のための描写ではない。わば主体によってとらえられ、内面化された自然の描写ですから。
 根本 王朝文学に示された美感は、日本人の感受性の一つの基準になっていると思うのです。その感受性は、どのようにして培われてきたか、という点ですが、やはり自然の変化が四季により多彩であることが、あげられますね。また、春に種を播き、秋に収穫するという農耕民族としての季節感覚もあったと考えられます。
 池田 同時に私は、そうして育まれた感受性が、さらに自然と交流して、いっそう磨きをかけられたのだ、と思う。
 自然のあやなす精妙な色合い、その陰翳いんえいに富む印象を感受しうる心の深さ、豊かさという側面を、認めなければならない。

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