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日蓮大聖人・池田大作

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音仮名に用いらえた漢字  

「古典を語る」根本誠(池田大作全集第16巻)

前後
1  池田 さらに、『古事記』では歌謡や固有名詞を表記するさいに、一音節一字という、いわゆる音仮名おんがなが用いられている。これは法華経や維摩経などの仏典漢訳にあたって、西域人の鳩摩羅什が,インド仏典の固有名詞や咒文じゅもんを、漢字の音を借りて表記した前例にならったものです。たとえば、法華経の陀羅尼品第二十六には、「咒」を音訳した例がある。こう見てくると、『古事記』の文体に対する仏典の影響は決定的であると言わざるをえません。
 なお、こうした音仮名や、敬語的な「白」の用例は、すでに高句麗の好太王(広開土王碑)に見られる。そこで、神田教授は、「羅什訳法華経 → 高句麗好太王碑 → 百済 → 推古朝遺文 → 古事記」という伝播の経路を想定しています。
 根本 実際、固有文字のない時代に、もしそうした先例がなかったら、歌謡の記録などは不可能だったにちがいないでしょう。
 池田 音仮名に用いられた漢字も、特異性がある。「阿」「那」「波」「婆」などは、そのもっともいちじるしい例で、中国の四書五経には、稀な字ですが、法華経その他の仏典には、頻繁に使用されている。阿羅漢、阿修羅とか、富楼那とか、波羅蜜とか、優婆塞、娑婆とか――。
 『古事記』では、「あ」「な」「は」「ば」を表すのに、この字種以外は、いっさい使われていないというのです。
 根本 なるほど。法華経の影響が、明らかですね。
 池田 語句にしても、法華経から学んだものが多くあるという。たとえば、建御雷タケミカヅチ神が、大国主命オオクニヌシノミコトに国譲りを迫る場面で、「抜(二)十掬剣(一)、逆刺-(二)立干浪穂(一)、趺(二)–坐其剣前(一)(十掬剣トつかつるぎを抜きて、逆に浪の穂に刺し立て、其の剣ノさきあぐして」(大系1)とある。
 この「趺坐ふざ」は、言うまでもなく、法華経の「結跏けっか趺坐」(「序品第一」開結124㌻)からきているとみられる。
 そのほか、「成神」は「成仏」から――また、「歓喜」「貧窮」「嫉妬」「遊行」などの熟語も、すべて法華経からきたものだった――。
 根本 当時の外来語だった(笑い)。それらの言葉も、現在の私たちは、まったく身についた日本語として慣れていますが、古代の日本人にとってはきわめて、新鮮な響きをもったものだったのでしょうね。
 池田 現代の知識人が、「アウフヘーベン」とか「イデオロギー」などという言葉に持っている感じに、似ているかもしれない(笑い)。もっとも、だいぶ使い古されて、鮮度は、失われたでしょうが。(笑い)
 いや、それはともかく、――実際に、明治の知識人たちが、 外来の思想、文化、その言語に接しておぼえた感激は、ある程度、似たようなものだったかもしれません。

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