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日蓮大聖人・池田大作

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一冊の少年本――まず、今日の政治家に読…  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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1  それは、宝暦治水をテーマにした雄々しくも、涙で綴る物語である。
 A出版社の社長より、ぜひともと一読を勧められた、その少年本の題名は『千本松原』(岸武雄著)とあった。第一ページには、「木曾、長良、伊尾の三つの川が、一つになって伊勢湾にそそぐところに、千本松原という美しい松原があります。これは、その松原にまつわる、いまから二百余年前の、勇ましく、またかなしいお話です」とある。
 当時、幕府は外様大名の疲弊策として、さまざまな土木工事を請け負わせたりして財力削減を画策したといってよい。九州の雄藩・薩摩もまた、その政策の被害者であった。
 宝暦四年(一七五四年)同藩は、木曾川地帯の河川工事を幕府より命じられたのである。その工事は、四十万両という自藩の禄高(七十七万石)の二年分にあたる大金を投入し、一千人からの藩士を派遣し、一年半の歳月を必要とした、難儀な作業であったとある。
 専制幕府の意図するところは、あらゆる雄藩の窮乏化によるみずからの体制の強化保守にあったことは論をまたない。しかし、それに対応する薩摩藩の治水思想は、幕府の支配体制を超克するものとはいえないが──少なくとも、人間主義に立脚しようとしていたことがうかがえるのだ。
 「美濃の国の百姓は、われわれ薩摩の国にとっては、えんもゆかりもないようにみえるが、考えてみれば同じ日本の人間、いわば兄弟のようなもの。その兄弟が長いあいだ苦しんでいると聞くからには、いのちをかけて助けるのが薩摩武士の本分ではござらぬか」(前出)
 工事責任者のこの思想には、悔しさのなかにも、人間という友に対する連帯感が、強く響いてくるようでならない。
 現実に、彼らは命を賭して働いた。五十三人にも及ぶ武士が、工事途中の責任を感じながら切腹していったのである。現代人からすれば、そこまで思い詰めなくともと、単純な批判は、いくらでもできる。
 だが、生きるべきか、死すべきかという、徹底した選択の道を歩まなければならない歴史のもつ現実の冷酷さが、わが身に痛く感じられてならなかった。
 私は、死を美化する意思は毛頭ない。ただ、治山治水を含めて、すべての政治に、これほど真剣に徹底して取り組んでくれる政治家が、はたして幾人いるかと慨嘆するのだ。
 今年は、例年になく台風が多いという。台風二十三号も日本列島を暴れまわり、薩摩(鹿児島県)をはじめ、水害の悲劇は繰り返されていった。封建時代のこの土木事業によって、堤をその根で厳として守る「千本松原」が美しく繁茂している。
 二十世紀の自由主義の政治家は、まず真摯な気持ちでこの少年本から学んでもらいたいものだ。

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